「これまで」と「今後」(1)
こういったことは、やはり書いておいたほうがいいのかもしれない、と思い、少しずつ、書き始めます。
今日、2013年9月8日、京都のライブハウスでPhewさんと高橋悠治さんのライブがあり、聴きに行く予定。
高橋悠治さんは言わずと知れた型破りのピアニスト、作曲家。。。「型破り」という言葉をつけても、悠治さんの活動の幅の広さはカバーしきれないくらい。
著作も多いですし、翻訳もされています。
指揮者の小沢征爾さんが若いときに「世界で5本の指にはいるぐらい」耳のいい音楽家と本に書かれていたことがあります。
一転、政治色が強い音楽家や活動家を支援するようになった時期があり、その頃書かれた「水牛楽団ができるまで」に、わたしは強い影響を受けました。
悠治さんのピアノや作品に感動しながらも、一時はピアノも捨て、世田谷のピアノも置けないようなアパートに住み、アジアの素朴な楽器や歌を集めて、水牛楽団の活動を始められた悠治さんに、何かを「つきつけられている」ような気がしました。
わたしはまだ高校生で、その後東京芸大の楽理科受験のため、浪人生活を送るのですが、水牛楽団発行の「水牛通信」を購読したり、水牛楽団の音楽教室というものに通ったりして、「音楽と政治」について、深く考えるようになりました。
と、いっても当時は、まだ高校生。。。
社会経験のない、青臭い子供の世界観のなかで、今、考えても、かなりの無理がありました。
今、わたしが「昔の自分」にアドバイスができるのなら、「まだ、世界を考えるには、体験という『パーツ』が足らなすぎるのよー」と言ってあげることでしょう。
でも、お陰で音楽だけしか知らない、ガチガチの専門家にならないですんだように思います。受験勉強は和声、ソルフェージュ、ピアノ、そして、海外の論文が読みこなせるだけの能力が要求される英語、楽典、論文。
かたや、「水牛」の活動からは、光州事件とか、ポーランドの政治情勢とか、学んでいました。と、いっても、わたしは今でも知識としての政治の話は苦手。
そんななかで、(世界情勢はこんなことになっているのに、クラシック音楽が専門の大学で、音楽なんか学んでいていいのだろうか?)というジレンマにとりつかれるようになりました。
貧困や差別や弾圧で苦しんでいる人がこの世にたくさんいる、という事実。。。
うーん、なんて生真面目な高校生だ
ただ、当時は、真剣に悩んでいて、自分でも収集がつかなくなりつつありました。
原発のことも、その頃の水牛通信で初めて知りました。
チェルノブイリが事故を起こす、3、4年前のことだったと思います。
すでに国内には20基の原発ができていたそうです。 (続く)
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