「これまで」と「今後」(2)
でも、「水牛楽団の音楽教室」とか「水牛通信」から、学んだことはすごく大きかったのです。
人と人とのつながり、人と音楽とのつながり。
社会のなかでの音楽の在り方。世界中で。歴史のなかで。
そういったものを自分で考える習慣がついた。
権威とか、名声とかの「ラベル」にこだわらないで(尊重しないという意味ではなく)、ひとつひとつ自分の目と、耳で、確かめるクセがついた。
「音楽教室」といいながらも、プロテストソングを聴きながら、ディスカッションをしたり、竹で作られたアンクルンとか、ただ筒切りにしただけの竹をみんなで鳴らして、響きを楽しんだりとか(チャンス・オペレーション?)、不思議な雰囲気でした。
故・小泉文夫先生のNHKテレビでの「民族音楽の特集」のような番組で、笙に出会ったのは。
髪の長い優雅な女性が、すっときれいなフォームで楽器を構えたかと思うと、不思議な音楽を演奏し始めました。
(わ、なんだろう、この楽器? 笙? 知らない。えっ、日本の、日本の楽器なんだ!!)。
音はとめどなく溢れて、まったく途切れることなく、不思議な喜びと静けさに、心が満たされました。
何よりも、ショックでした。
笙。
これが、日本の楽器。
小泉文夫先生の番組などの影響で、ワールドミュージック系の音楽が少しずつ、世の中に紹介され始めていた頃。
広範囲にいろいろなものを聴いていたつもりでしたが、こんなものが世の中にあったなんて、まったく知らなかった。
それが、足元の、日本の楽器???
そして1、2年後に、その髪の長い優雅な女性に、自分が笙を習うことになるとは、夢にも思いませんでした。
そのときの自分のショックは今でも忘れることができません。
そして、笙はまだまだ広く知られているとはいえず、そのときのショック(というか、感銘)のようなものをもっとたくさんの人に知って欲しいと思うようになり、今活動しているのも、こういった出会いがあったからです。
(続)
ブログ「笙の響きと雅楽の愉しみ」はこちら
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