カテゴリー「essay」の記事

2020年12月16日 (水)

盟友の死を悼むーーー佐々木冬彦さんの訃報に接して①

Facebookをたまたま見ていて、「佐々木冬彦」さんがタグ付けされた記事に目が止まり・・・若い頃からのお友達だったかたのようで、「訃報を知り」などとあって、一瞬、混乱した。


え?「訃報」?何の話?



大好きな星野道夫さんの最晩年の作品を読み直していたときで、生と死、運命、命の循環などに思いを巡らせていて、やや気持ちが鬱々としていた。眠れなくて、この佐々木さんの訃報について書かれた Facebookの記事を見つけたのも、確か夜中の2時か3時ごろだったと思う。


混乱。。。記事によると6月に急逝されたとある。


ひどく混乱。

思考が・・・まとまらない。


だって、佐々木さん、最近もFacebookに文章もアップされていたはずで、、、、あれは・・・?
そうそう頻繁に記事を書く人ではなかったし。。。

 Facebookを確認したところ、最後の佐々木さん自身による投稿は5月末だった。。。


この記事を読んだのは覚えていて、(あー、CD、追加で送っていただかなきゃ。。。久々に連絡してみよう)と思っていながら、連絡できなかった。。。


そのことを今、とても悔やんでいる。。。


ネット内の情報を明け方4時か5時ぐらいまで探し回ってしまった。うそだ、そんなはずないと思いながら。


でも、調べるほどに訃報が確からしいことがわかる。。。




最後にお会いしたのは2017年。。。


長らくこのブログをご覧くださっているかたはご存知かと思うけれども、わたしは2015年から2017年にかけて演奏、収録された佐々木さんの作品、「その橋は天へと続く」に笙の演奏で関わっていた。

佐々木さんのCD「愛について」に収録されることとなり、1月に千葉のホールで録音、5月ごろだっただろうか、マスタリングの音の確認のため、東京のコジマ録音さんにお伺いしたのが、最後となった。

作曲家で名ハーピストであった佐々木さんは、このCDを録音した年を最後にハープの演奏からは、一線を退かれてしまう。

CDの録音のときから「このCDは、僕の最後のCDになるから」と、繰り返し言っていた。。。

わたしはわたしで「何言ってるの? まだまだ、これからでしょう? 作曲だって演奏だって」と、高校時代からお付き合いの長い佐々木さんには軽口を叩いたりしていた。


完璧主義者の佐々木さんの「ご謙遜」だろうと。


そのときは一緒に演奏した市坪俊彦さん(ヴィオラ)もそう感じられていたようだった。
収録は真冬だというのに奇跡的に暖かくなったその日の気候も手伝って(笙の録音にはまさに天佑だった、、、と確かブログかfacebookに書いた。録音中暖房は切られてしまうので)、始終明るく、朗らかな雰囲気で進んだ。

「最後のCD」だなんて、信じられなかった。

目が・・・片目が見えなくなってきている、というお話はちらっと伺っていた。
ハープはピアノなどと違ってたくさん並んだ絃を目で確認しないと演奏ができない楽器なのだと。


「でも、絃を例えば色分けしてみるとか・・・」力なく提案してみたのを覚えている。


でも、そうだよね・・・自分に厳しい人だから、中途半端な演奏が続けられる、だけでは、だめ、なんだよね。。。

 

何も言えなくなった。


CDが販売され、ライナーノーツを読んで、初めて事情を知らされる。
状況はもっともっとご本人にとってーーーわたしが想像していた以上に、厳しかった。。。。

2011年の東日本大震災からの暗い精神状態から、ようやく立ち直ってのCD作品であったこと。
目のことだけでなく、鬱病やパニック障害のこと。

CDの誕生をお祝いしつつも、佐々木さんが体験してこられた数年の、あまりの重さに、しばらくどう接していいのか、わからなかった。

わたしが参加させていただいた作品のレコーデイングの際の佐々木さんの音が、これまで聴いたこともないくらい豊かで幅があり、しっとりとしていて、何度も「今日、どうしたの?なんかいつもと違わない? 音がーーーしっとりしている。すごく潤いを含んで湿度を帯びている感じ」と思わず言ってしまったことは、このブログのどこかに書いたような気がするけれど、「愛について」というCD全体のタイトルを聴いて(それは奥様と演奏された別の収録曲のタイトルでもあるのだが)、何かものすごく腑に落ちてしまった。言葉にすると陳腐だけれども・・・あの音の深さは、「愛について」だから、と言われてすぐに納得してしまうぐらい、体験したものでなければ、わからない出来事だった。

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(CD収録風景。君津市民文化ホール2017年1月30日)

CDは大ベテランのコジマ録音さんの手で素晴らしい響きで仕上がっているけれども、佐々木さんの生の音は忘れられない。
2015年からこの作品の演奏が始まって、何度か舞台でも共演させていただいたが、ホールの音響ももちろんあるとはいえ、佐々木さんの、命を振り絞っての音だったのだと、今、さらに強く感じている。

 

文章が少し長くなっていくと思う。

そしてこの文章は間違いなく、自分自身のために書いている。



「死を悼む」などとしおらしいことを書いてみても、結局は残されて生を続けていく自分自身のためのものだと感じる。



まだ、混乱が収まらない。



日々の生活は続いている。笑ってるし、食事もしている。



でも、こういうときのわたしは・・・ものすごく深いところで傷つき、不安に感じ、怒りを覚え、そして後悔している。



そして放っておくとじわじわと傷が意識を侵食してくる。。。



冬の朝が、ますます辛い。起きられない。


そしてさまざまなことに手がつかなくなっている・・・




気持ちを整理するために、もう少しこの長文にお付き合いください。


(続く)

追記・12月22日
佐々木さんのYouTubeチャンネルをリンクさせていただきます。
わたしもまだ聞いたことがない佐々木さんの作品、佐々木さんが愛されたドイツ・フランス音楽がアップされています。
何より、素晴らしいご自身の演奏と作品。
たくさんの人が目にされ耳にされますように。
末長く、たくさんの人に愛されつづけますように。

https://www.youtube.com/channel/UCQ1vqH2NGcMWREmkpOJi2iw


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2013年11月13日 (水)

めぐり

各調独特のフレーズ感、旋律のことを「めぐり」という

「めぐり」が違うよ、と昔の先生はよくおっしゃっていたけれども

ちょっとしたニュアンスでめぐりは違ってしまい、別の調になってしまう

季節の「めぐり」という言葉にも符号する、調の特徴的な感覚。

さりげない言葉ながら、深い意味合いがこめられているように思います。

ただ、笙の奏者にはその部分はいかんともしがたいので

笛さん篳篥さんよろしくお願いいたします。

だんだんと、めぐりの感覚がなくなって、平板になっているように思えるのです。

笙の唱歌だけは、めぐりを失わないように頑張って指導していますが。

チューナーでは説明できない部分かもしれません。


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2013年10月31日 (木)

近鉄線の不思議と楽しさ

「新幹線に乗れない 農薬被爆列島」

という本があるそうです。。。


わたしも、毎月新幹線で京都東京間を往復利用、しかも「ぷらっとこだま」ですから。。。

片道4時間。しかも完全に密室状態。。。

事実を知りたい気もするけれど、反面、怖くて読めないなあ、、、と思いながら、のんびり、いつもの近鉄線に乗っていたら。

えっ?

つり革に。。。

クモの巣がはっていて。。。

クモもいるよ。。。

電車とともに、揺れてます。。。

さすが田舎の電車だなあ。

でも、強力な殺虫剤は車内では使っていない、ということですね。

お客さんの体についてきたら、数時間で巣も作るでしょう。

次の清掃で、おそらく駆除されてしまうでしょうけれど。


これぐらいの、「ゆるさ」って、とてもいい。

もちろん、クモが車内にいるなんてけしからん、という人もいるかもしれませんが。

計器類に紛れ込んだら、それこそ危ないかもしれないですし。

でも、近鉄線ぐらい「ゆるい」と、人力で駆除しても、当面はそれで間に合うのでしょう。

あ、そういえば、近鉄線では、優先席に座って、携帯やスマホをみていると車掌さんに怒られます。しっかり。


関東では、一度も体験したことがありませんでした。

こういったマナーの「厳しさ」はむしろ、いいなあ、、、と思います。

わたしもipod touch を見ていて、何度か怒られましたが(携帯じゃありません、と逆に抗議)。


そういえば、「古今著聞集」でしたっけ? 
ずっと吹かれていなかった笙を奏したら、なかにクモがいて、吸い込んでしまい、大恥をかいたという、昔のお話。

そのうち「抗菌」の笙とかもできるのでしょうか

カビも生えません、とか。

そんな管、吹きたくないです。

クモを吸い込むのも嫌ですが

松やにや蜜蝋には、ナチュラルな抗菌作用があるそうです。

ゆるーい、自然界の仕組みを利用するほうが好きです。

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2012年3月29日 (木)

現代建築と宮大工の技を

融合させることができないのでしょうか。

10代から職人的な技を体で覚えながら、現代建築の勉強もして、それを活かして、例えばビルとか、立てられる人がいたら、すごいのではないでしょうか。。。

職にあぶれている若い人たちに、職人的な仕事をさせたら、なかにはめきめき頭角を現す人、出てくると思います。

ただ、今の世の中は、それだけでは食べていけないですし。。。

なかには、これまでになかった建物を作り出す人、出てくるでしょう。

薬師寺の「心柱」の技術が、スカイツリーに応用されている、というお話を聞いて、ふと、そんなことを思いました。

心柱があることで、耐震構造となるのだそうです。。。

1000年の知恵、とか雅楽1400年の歴史、「はー、ふーん、すごい、すごい」と関心したりあがめているだけでなく、それを応用する力が、わたしたちにはあると思います。


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2011年12月18日 (日)

薬師寺さん(西岡棟梁、塔について、あれこれ)

わたしのブログの左側のカラム(列)の、booksの欄に、「木に学べ」という本がありますが。

20代、30代と影響を受け、真剣に読みまくった本です。

西岡常一棟梁。法隆寺の宮大工。1995年に亡くなられています。

「宮大工」という、今はもうなくなってしまいそうなお仕事の世界ですが、その世界で「鬼」と呼ばれていたぐらいに、古い塔やお堂の修理に生涯をかけた人です。

「宮大工は、民家を建ててはいけない、けがれるから」ということで、大工仕事では宮大工以外の仕事は、一切しなかったそうです。
つまり、、、古い塔の修復などがない限り、仕事がない。。。
家族そろっての、極貧の生活も経験されたそうです。

法隆寺を建てた人は、1000年以上の樹齢を持つヒノキで塔を組めば、1000年以上持つ、ということを知っていたのではないか、とか、建立に関わった大工の全員が、実は全てを把握している棟梁並みの技量を持っていて、塔を作ったのではないか、とか、、、

なぜか、雅楽の演奏と、非常に関係が深いように、思えてならないのですが。

雅楽の合奏も、指揮者がいません。
一応、鞨鼓が指揮者の役割を果たすといわれていますが、実は全員が指揮者でもあるように思えます。まあ、今の世の中の雅楽では、全員が「楽長レベル」の団体なんて、、、あり得ないと思いますが(笑)。
今の世の事情では、どうしたって、どこの団体でも、経験の浅い人も、メンバーに入りますし。

さて、今回の薬師寺東塔の修復ですが、わたしはてっきり、昔風に木でやぐらを組んで、塔を解体したりするのかと思っていたので、拙ブログ前の記事の写真のような、「いかにも工事現場風」の風景に驚きました。

塔といえば、もうひとり、幸田文さんのことが頭をよぎります。

お寺の名前を失念しましたが、やはりどこかの塔の再建のために、全力を尽くされています。
資金難で中断していた建設のために講演会などで走り回り、再建が始まったら始まったで、東京から奈良に通い詰めたり。

その、塔の再建のときのエピソードですが、とび職の職人さんが、組まれた足場から「落ちた」のだそうです。だだっぴろい奈良の風景のなかで、お寺の塔を見ていると、近代的な巨大ビルを見慣れた目には、それほど大きく見えないのですが、今日のような「足場」が組まれていると、その目もくらむような高さに驚きます。

その、何十メートルの高さから落ちた、とび職の若い衆は、怪我ひとつ、しなかったそうです。

足を踏み外した瞬間に(あ、落ちた)と思い、足場の木を、千鳥掛けのように、掴みながら、落ちていったのだそうです。

しっかり掴めればそのままぶらさがるつもりだったのでしょうが、結果的に落ちるスピードが減速され、地面に落ちたときには無事だったのです。この話は、今、内容を思い出しながら書いていても、なんだかわくわく、どきどきします。。。(幸田文さんの、原文ではもっと鮮やかに、端的に書いておられます〜)。

奈良では、名も無い普通のとび職さん、だったのでしょうけれども、超人的な感覚です。
そんな話を思い出しながら、ふーん、今回の再建は、どんな感じで行われるのかな、西岡さんの唯一のお弟子さんが、やはり棟梁でされるんだろうな、、、とかいろいろ思いながら、

今日の、東塔の不思議な光景を眺めておりました。。。

ちなみに、「法隆寺を支えた木」というご本ですが、恥ずかしながら、多忠麿先生にプレゼントさせていただいたことがあります(20代の、若気のいたり。。。ああ、生意気。ああ、恥ずかしい)。先生からは「秋の夜長の楽しみにゆっくり読みたい」といったような、御礼のお手紙を頂戴しましたが。。。

それほど、西岡棟梁のものの考え方、生き方に深く影響を受けていました。

わたしの「雅楽観」にも、多大な影響を与えています。。。

それにしても、、、今、こうして奈良にいることは、やっぱり必然的なような気が、、、西岡さんの本のことなどを思い返してみて、改めてしているところです。。。

(明日、東京に出るので、準備で時間がないのですが。。。どうしても書いておきたかったので、乱文ご容赦!)

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2011年10月31日 (月)

星々の声

奈良に越してきてから、落ち着く間もなく日々が過ぎ、すでに10月も今日で最後。

夕闇のなかで星空を見上げると、視力の弱いわたしでも煙るように星が見える。

平城京はご存知のように東西南北の方位にぴたりと合わせて建設された。

当時すでに星の動きなども正確に把握していたようで、天文学の知識も反映させて、都市を作り上げた。

四季に雅楽の調を対応させる思想は、おそらく雅楽が輸入され、少し経ってからのことだろうけれど、雅楽の音のなかには、星々の声も折り込まれているように感じられる。

都市はやがて崩壊し、天変地異も経験し、戦争もあり、人も去ったけれども、演奏されていた音と舞は残った。

1400年の伝統の「鎖」をつないだ人たちは、そのときどきで、どんな音を経験し、四季を感じ、宇宙を感じたのだろう。

織田信長と明治天皇は、どのように雅楽をお聴きになったのか?

1000年後、この国は、どうなっているのだろう。。。

そのとき雅楽は、奏でられているのだろうか。

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2011年10月 5日 (水)

笙という楽器は

制約がたくさんある。

だからこそ、やれることがたくさんあると思う。

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2011年9月18日 (日)

自転車が、なおりました。

わたしが住んでいるあたりは田舎なので、「車がないとやっていけない」と不動産屋さんにも言われていました。自転車で頑張っていたのですが、東京行き直前に、この自転車がパンクしてしまいました。一駅先から「とほほ。。。」と歩いて帰ってきたのですが。。。暑いなかを30分。タイヤだけでなく、わたしもへこみました。

わたしの自転車は小径車(ミニベロ)と呼ばれる、やや特殊な自転車です。

ママチャリ専門のところでは直せないのでは、、、と思い、調べてみるとミニベロを扱う自転車屋さんは3駅先の、さらに向こう。

とにかく歩けるだけ、歩こうと決意。
のんびり家を出て、唐招提寺と薬師寺の間の、小さな洋服や雑貨を販売しているお店をのぞいてみました。いつも前を素通りしていたのですが。。。

あら、素敵なブラウス。。。

自転車を止め、お店のかた(女性)とお話をしているうちに、つい、「これから、自転車のパンクを直しにいくんです」とお話をしてしまいました。

「新大宮の先で。。。」と行ったら「えっ?」という表情。「これがその地図で。。。」
「あら、ここ、遠いわよ〜」

「これから30分でお店を閉めて、帰るから、30分、お待ちになる?」と言われて、びっくりしていると「もっと近くに自転車屋さんがあるから、車で送っていってあげる」

えええ、、、、だって、まだ3時。
観光地だから、人がぞろぞろ前を通っています。。。
お客さんが、、、かきいれ時なのでは。。。

お断りしたのですが、「いいから」とどんどんお店を閉める準備をされ、鍵をかけると車を出してきてくださいました。

しかも、、、車の後ろのトランクに乗らなくて、結局後部座席にのせることに。
「あ〜、泥がついちゃいますよ、新聞かなにか敷きましょうよ」
「いいから、いいから!」

で、初めてあったかたなのに、一駅先にある自転車屋さんにつれていってくださったのです。しかも、そこで自転車をおろして、「じゃあね」じゃなくて、修理コーナーまで来て、そこで修理ができるかどうか、わたしが確認したところを確認してくださって、「それじゃあ」と。

最初はパンクというより、車輪が壊れたのかと思っていましたが、なかのチュープを変える程度の修理ですみ、わたしは自転車に乗って、再び西の京に戻ってくることができました。

お店の前を通ると、、、やっぱり開いています。
(わたしに気をつかって、「今日はもう閉店」なんて言ってくださったんだな)。

「だいじょうぶだった?直った? 帰り、路に迷わなかった?」と、これまた気さくに声をかけてくださいました。

わたしの自転車のことなのに、とっさに(3駅先のあんなに遠い、自転車屋さんなんて。。。こんなに暑い中、絶対だめ!)と思ってくださったのでしょうね。

伺えば、中国やアジア、トルコ、エジプトと、随分あちこちを旅行されているかたでした。
昔は楽器の輸入などもされていた、と伺って、え〜、残念、その頃にお会いしていれば、なんて思いました。

わたしは笙という楽器を演奏していて、今度、香港に行きます〜というお話をしたら、香港は中国でもちょっと雰囲気が違うわよねえ。。。とおっしゃっていました。
ここ数年は、中国ばかり行かれているとのこと。

御礼の気持ちもあって、ブラウスだけでなく、ちいさなスカーフも買いました。

そういえば、昔、、、イギリスに短期留学していたときにも、似たような「親切」に随分出会い、助けられました。ヨークシャー近くの田舎町の駅に降り立ったときに、「あら、Eatonさんの家? 近所だから、乗せていってあげる」と車で送ってくれたイギリスの老夫婦。見知らぬアジア人なのに。。。

相手が大変そうなときに、すっと、瞬間的に体が動く人って、、、
「モラル」とかではなく、「身に付いたエレガンス」、だと思います。

「身に付いたエレガンス」、見習いたいなあ、、、と思いました。

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2011年8月 5日 (金)

平蠻楽 (渡し物)

録音、何かなかったかな。。。

笛の音だけ聴いていると、笙とはそれほど違和感がないのに、篳篥が入るとおかしくなるところが数カ所。

元は平調だったらしいけれど、黄鐘調に渡した人はもしかしたら、笛の人?

「渡し物」は洋楽の「移調」とはまったくやることが異なる。

ただ、調によってはほぼ、洋楽の移調の感覚でもいける調もある(詳細説明は、そのうち。。。)。

そのように、簡単に「渡す」ことができない、調から調へ「渡す」際には、「アレンジャー」的才能が必要となり。。。

越殿楽三調に関しては、かなりの「才人」の、大変に優れた「お仕事」。

こんなことができるのは、今の世だったら、芝祐靖先生ぐらいだろうか。。。

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2011年5月21日 (土)

経済ってなんですか

今でも、「原発を止めると経済が立ちいかなくなるから」という話を耳にするのですが。。。

でも、「経済」ってなんですか。
今、正確に説明できる人、いないのではないですか。。。

わたしも、できません。

経済って、、、産業とか生活を成り立たせるための、システム?
でも、今、原発があったからこそ、農業、漁業、そして工業さえも打撃をうけ、再生の見通しはまったく立ちません。

経済って、、、人間の幸福と、どう関係があるのでしょう?

ただ、お金がある、っていうことでしょうか?
経済状態がよかったころ、日本は幸せだったのでしょうか?
飽食とエネルギーの無駄遣い。
教育の現場は荒廃してきていましたし、自殺は増える一方でしたから。

でも、よく言われるように「幸福指数」が国の発展の尺度となっているという、ブータン王国のようになりましょう、というのも、またちょっと違うと思うのです。

そう、原発を止めましょう、というと、何か「原始的な」生活に逆戻りしないといけない、と勘違いしている人が圧倒的に多いのですよね。

日本には高度に発展してきたテクノロジーがあります。
そういったものを最高度に活かしつつ、これまで破壊し続けてきた自然を取り戻していく産業とか、作っていけると思います。

ただ、根底には「畏れ」とか「謹み」とかいう文化がないと、今後、どうテクノロジーを発展させても、自然界に崩されるでしょうね。

いち雅楽の演奏者として、何ができるのか、、、
わたしにできるのは音を届けるだけ、ですが、そんな妄想もしています。。。

音とともに、今後、畏れと慎みと感謝の気持ちをもって自然に接して来た、日本の精神文化のことも、伝えていきたいと思っています。

でも、改めて、、、

「経済って、なんですか?」

それは、日本国民、あるいは、人類の幸せと、合い入れるものですか?

人類の、未来と?

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