プラネタリー=「惑星の」という意味があります。
プラネタリー・ヘルスという概念があると知って、公演のタイトルを決める際に、そこから引っ張ってきました。
2018年から腸を患っていて、いくら病院で検査を受けても、また治療を受けても良くなりませんでした。というか、病院での治療はむしろ悪化させてしまうことが多く・・・結局、劇的に快方に向かわせてくれているのは、食事療法、アーユルヴェーダ、オステオパシー、ファスティングでした。
治癒への過程で、様々な本も読みまくり、さまざまな治療も体験しましたが、大量に下血した「原因」を考えていくとき、、、
体内の重金属の汚染度の検査で、水銀やアルミなどの汚染度がかなり高い、という事実、お医者様のお話では、「日本人だと、汚染された近海の魚を食べるので仕方がない、でも最も汚染されている世代は10代以下の子供たち」(!!!)という事実!や、農薬や普通に飲む痛み止めの薬が腸内を荒らしているという事実を自分の体で感じることとなりました。
プラネタリーヘルス、よくよく調べてみると、少し底が浅い概念ではありましたが(笑)、個々人の健康も、地球規模での「健康、健全」を考えていかないと、守ることはできない、ということです。。。
地球規模の、例えば異常気象や化学物質、薬品の汚染から、わたしたちは逃れられない。
東京の、しかも大好きな文京区に住んでいて、それでも何か息苦しいものを感じて、最後の10年間は(なんとか、山手線の外側に出たい!)と思い始めたのは、本能だったのかもしれません。
わたしは子供の頃からSFを読み慣れていたので、「人類の極端な減少、あるいは絶滅」といったことがかなりリアルに頭の中に思い描けます。
いわゆるディストピア。
そちらの方向に、もう人類は舵を切らないだろう・・・とは思いますが、可能性ゼロとも思えません。。。
プラネタリーライブで、星の寿命、恒星や地球が終焉を迎えるとき、、、という描写をするのは、それはもう、100%、必ずやってくるものだからです。
他の星から地球を眺めるイメージ。
なぜかこれは強く、子供の頃から持ち続けているイメージです。
そして、(そのとき、そこに人は住んでいるのだろうか?)という疑問。
その視点から、人の歴史を思ったり、他の星への移住ということも考えてみたり。。。火星などへの移住が、ここ数年でがぜん、現実味を帯びてきた、ということも見逃せません。
笙や雅楽の音に光や天空だけでなく、宇宙を感じるのは、なぜなのでしょうね。
笙や雅楽や仏教が日本に入ってきた頃の人たちのほうが、より自然や天の働き、宇宙の働き、仕組みを「脳」ではなく「体感」で感じていたのでは、と思えてならないのです。
わたしは、病を得たことで、、、自分の体と外部との繋がりをより、強く感じるようになりました。
食べること=思えば、まさに世界との繋がりかたのひとつなのですよね。。。
地球から生まれ、地球のひとつひとつの細胞のようなわたしたち。。。地球を汚染しすぎてしまったら、もちろんそこからは逃れられない。。。
プラネタリーライブの最終エピソードは「大気圏外から」としましたが、まさに大気圏外で観る光・・・のような音を追いかけているのかもしれません。
クラシックとか雅楽とか古典とか、モンゴルの民謡とか、エレクトリックとか、アンビエントとか、もうジャンルを問わず・・・光と闇のせめぎ合い、森羅万象のような音世界。
この先、どのような音を奏でるのか、、、
本人にもわかりませんwww