カテゴリー「梁塵秘抄 後白河法皇」の記事

異形なるものへの偏愛・・・

2010年5月18日 (火)

優雅さは荒っぽさに駆逐される・・・

学生時代から感じていたのですが・・・

優雅で丁寧で繊細な手移りをしても となりでぶわんぶわんと笙を吹き散らす人が吹いていると

すべて消されてしまいます

笛篳篥にしても同じでしょう

雅楽は屋外でやるものだから荒っぽくてもいい、と勘違いしているかたも多いと思いますが

「梁塵秘抄」でも「人に勝つべし勝つべし」と歌ったり演奏したりすることは、よろしくない、としています

舞にしても演奏にしても 一瞬でもぎらりとした表現欲をひらめかすと、古典の場合はすぐに先生からご注意を受けました 

エゴをそぎ落としていかないと 古典はむずかしいです

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2010年3月16日 (火)

音霊

最近、ポップス系からクラッシック系のミュージシャンも、普通に「音霊」という言葉を使っていたりして、びっくりします。
コンサートのタイトルに「音霊」という言葉を入れたり、とか。

元は神道の言葉なのでしょうか?
音の霊、「言霊」、言葉の霊。
音にも言葉にも魂、エネルギーがある、ということですね。

わたしのCDの帯にも江原啓之さんご推薦の言葉を頂戴していますが、音霊という言葉が使われています。

梁塵秘抄を読んでいると、まさに音霊、言霊、ということを生々しく感じます。

昔は、テレビもラジオも、もちろんネットもなかったわけですから、「歌」は「ニュース速報」みたいな役割も果たしていたのでしょう。

梁塵秘抄のおもしろさは仏様の功徳を称える歌のよこに、生々しい恋歌が並んでいたりする。歌によっては、かなり具体的な地名や神社の名前があり、(○○の巫女、とか)、多分、「ゴシップ記事」の感覚だったんでしょう。そして、そういう歌ほど、広まるのが早かったのかもしれません(笑)。

そういえば神楽歌のなかにも、そういった歌が入っていますね。

神道は、宗教が陥りやすい、「極端な禁欲」とか「異常な潔癖主義」を回避して、おおらかに人間的な本能を楽しんでいるところがあります。

その神道が、日本に伝来した仏教と結びついて、日本独自の宗教が出来上がっているというか。。。ただ、「なんでもあり」のようなおおらかな思想は、過酷な争いを回避し、全体性を志向していくことで、人に優しいように思います。

人類始まって以来の大矛盾、ですが、「宗教」ほど戦争を引き起こしてきたものはないですから。。。

「ぽわっと」生きている人のほうが、実は人や世界を否定せず、高い境地を生きているような、そんな気がします。

後白河法皇に関する本を読んでいると、大変な芸術的才覚としたたかさと同時に、そんな、境地の高い「ぽわっと」感を感じることがあります。

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2010年1月 9日 (土)

幻影?

なんだろう。。。

ここ数日、ふしぎーなイメージがちらちら。。。

森、なんだけど、白い光と空気に包まれた、白い(銀色の)森。
息をすると、ものすごく濃い空気が、肺のなかにたくさん入ってきます。

ここにいると、すごく落ち着く・・・
まるで、白いオーロラの中に、森がすっぽりひとつ、入っているようです。
涼やかで、穏やか。

なんか、「嬉しい」とか、「ハッピー」とかそういうものを越えた、穏やかで静かで祝福された何かに包まれているような、不思議な空間と感覚。

ひとりなんだけど、「共時」とか「共振」とか「共鳴」とか、はっきり感じられる不思議な世界です。

なんだろう。

誰かが、届けてくれているのかな。。。

こういう感覚のときって、「梁塵秘抄」の「・・・人の音せぬ暁に、ほのかに夢にみえたもう」(仏はまことにいませども・・・)を思い出します。
明け方とかに、ちらちらと(でもかなりはっきり)見えるんです。。。

なんか、、、、いっちゃっていますね(笑)。

不思議です☆(そして、ありがたいです!)


2009年8月30日 (日)

静かに音せぬ道場に

○静かに音せぬ道場に 仏に花香奉り 
 心を静めて暫くも 読めばぞ仏はみえたまふ (巻第二)102

○仏は常に在(いま)せども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる
 人の音せぬ暁に ほのかに夢にみえたまふ (巻第二)26

「遊びをせんとて・・・」の歌で有名な梁塵秘抄ですが、法文歌といって、仏法を説いた歌もたくさん読まれています。

お経と違い、やさしく柔らかな感じがしますね。

こういった法文歌と並んで、なまなましい恋の歌が並んでいるのですから・・・梁塵秘抄(今様)は奥が深いです。


2009年8月19日 (水)

万の仏の願よりも

「日本の歴史に登場する幾多の人物の中で、、後白河法皇ほど複雑な人をわたしは知らない」 ・・・・
「後白河以上に美を理解するパトロンは、日本史上、二人とないと言ってよい」

(「京都発見」二 梅原猛)

万の仏の願よりも 千手の誓いぞ頼もしき
 枯れたる草木も忽ちに 花咲き実生ると説いたまう

                     梁塵秘抄 巻第二

千手は「十一面千手千眼観世音菩薩」。
三十三間堂で初めて見たとき、感動のあまり動けなくなった。

かなり以前にテレビで見て、うろ覚えの情報なのですが・・・


昭和のときに千一体の千手観音様の修理を行った。
そのときそれぞれの仏様のなかから願文が出てきた・・・
そしてそれは当時の高位の政治家や僧侶、貴族のものだけではなく、一般の庶民のものが多数あったという。

かなりの数の観音様が一度、焼き討ちで焼かれているから、当時のものは少ないかもしれないが、それでも最初に作られたときに行われたことにならって、庶民の願いも入れられたのだろうと思う。

いかにも、後白河法皇らしいエピソードだと思った。


2009年7月 5日 (日)

口伝集第十一 

・・・ただゆるゆるとして、のどかに節丸く、律に合て、篳篥音あるともきこえず、笛笙もそれときこえぬやうに、合をよろしく目出度く声をながながと使い、はかせのゆふゆふときこえるときはあしく、只一息に、声の助けなく、さらさらと常のことばをいう如く謡うべし。

「常の言葉をいう如く」。
今はどうしても朗々と謡いますよね。最初これを読んだときは、まったくぴんときませんでした。

「博士(墨譜)のゆうゆうと聴こえるときは悪しく」、わざとらしさを避けよ、ということだと思います。若いときから鍛錬を積んだ後白河法皇のこと、やろうと思えば、「博士がゆうゆうと聴こえる」謡いかたなど、お手のもの、だったでしょうに・・・

雅楽は、テクニックをひけらかすことや、芸を誇るような演奏を極端に嫌います。この辺は「レチタティーボ」の対極、かもしれません。。。

ちなみに、これは、「あしく」は「声をながながと使い」以降を受けているのだと思います。


2009年7月 3日 (金)

茨こきの下にこそ

茨こきの下にこそ、イタチが笛吹き猿奏で、かい奏で、イナゴ麿めが拍子つく、さてキリギリスは、鉦鼓の鉦鼓のよき上手。(梁塵秘抄巻第二)

かわいらしい歌です。鉦鼓は、雅楽器の打ち物のひとつですが、唯一、金属製の打物で、「チチン」と澄んだ音がします。

イナゴ麿が出てきたり、貴族が奏でる雅楽器をキリギリスが奏でたりと、権力者へのあてこすり? 

この歌は「鳥獣戯画」によく例えられますが、軽快洒脱な雰囲気は確かに、鳥獣戯画の世界。


2009年5月22日 (金)

梁塵秘抄 遊びをせんとや

遊びをせんとや生まれけむ、

戯れせんとや生まれけん、

遊ぶ子供の声きけば、

我が身さえこそ動がるれ。(359)

梁塵秘抄のなかで一番有名な歌ですね。
当時、どんなに闊達な節回しで歌われていたのでしょう。


梁塵秘抄口伝集貫三十

ひとよりかつべき、かつべき、かつべきとおもいて、吹・唱は愚人の心入りなり。

人を立て、われも立て、仁義禮智信の心、文学の道のごとし。

琴びわにても皆同じ、調子は心息にそくするゆえ、ただちにあらわれぬるぞ、心得べき大極意なり。

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後白河法皇は、12世紀の時の最高権力者。
ところが大の今様(当時の民間での流行歌)狂い。
当時最高の歌い手だった、乙前という河原で生活する貧しいおばあちゃんを宮廷に召し寄せ、なんと弟子入りまでしてしまう。

今の世で例えれば、王族に生まれたにも関わらず、クラシック音楽などには関心がなく、ロックやポップスに明け暮れ、日々エレキギターやドラムに没頭する王子さま、といったところだろうか。

とは言っても雅楽に関しても短いながらに言及があり、しかも内容は深い。
「ミュージシャン」でなければ書けない内容だと思う。楽器にも精通していたらしい。

最高権力者とはいえ、いつ政治が転覆して、自分だけでなく、愛する家族や親友、側近が皆殺しになってもおかしくない世のこと。
そんななかで尋常ではない今様熱は、酔狂を超えて、神がかったものさえ感じられる。

のらりくらりと現実逃避のために音楽に没頭しているのではない。音のなかに神を見、聴き、全霊を捧げて生きてこられた、すごい人だ。

さらに、「音の前には人は平等」というようなこともさらりと言ってのける。
かっこよすぎるのであるが、笑えるようなエピソードも残されていて、人間らしさも感じさせる。

複雑で魅力的、カリスマ的な人だったようだ。
のらりくらりとしているようで、実は奇怪な政治力があったようで、源頼朝も手が出せなかった。

梁塵秘抄口伝集を読んでいると、「生粋のミュージシャン魂」を持った後白河法皇の、熱い想いが歴史を超えて伝わってくる。

900年の時差などなんのその♪ 

後白河法皇の想いは、まるでついこの間まで世にいらした人の想いのように熱く伝わり、その言動には、動かされる。


2009年5月 1日 (金)

声も気あり。

声も気あり。器にて五声皆腹内の五臓よりいづる、人としてそのうることは人生なり。

梁塵秘抄口伝集