今年は様々な行事が復活するといいですね。
こちら、わたしが関わっている行事ではありませんが。。。(映像のなかで雅楽が流れていますが)。
何か、映像の「菩薩が3年ぶりに来迎橋を渡る」というタイトルに、なんだか思わず涙ぐみそうになり。。。
国内・国外、いろいろありますが、、、今年は明るいニュースが増えますように!
演奏会を延期、中止してきた雅楽団体も今年は復活できますように!
こちら、わたしが関わっている行事ではありませんが。。。(映像のなかで雅楽が流れていますが)。
何か、映像の「菩薩が3年ぶりに来迎橋を渡る」というタイトルに、なんだか思わず涙ぐみそうになり。。。
国内・国外、いろいろありますが、、、今年は明るいニュースが増えますように!
演奏会を延期、中止してきた雅楽団体も今年は復活できますように!
テンポが早くなってきたり、舞楽吹きだったりする以外のときは、手移りはおっとり、優雅に指をすり離しましょう。
雅楽は貴族の遊びですから、ゆったり移り変わるのが基本です。
急激に変わったり、アクセント的な動き、音になるのを嫌います。
すり離すのを長年の惰性でか、忘れてしまっている、やらなくなる(面倒くさい?)人もいますが、すり離した場合とそうでない場合、音も変わります。
4拍目で勢いをつけて、しゃっと離してぱっと移る手移りをするかたがいっとき、お稽古場に来られていました。
どうしてもそのくせが抜けなかったです。
舞楽で多少、派手に演奏することもありますが、やりすぎると下品になる、と言われてきました。。。
ただ、屋外での舞楽のときなどは、どうなんでしょうね。多少は大げさにやらないと、迫力が出ないかもしれません。
舞楽は本当に、大人数でやるもの、と思います。。。
関西で、屋外での舞楽をたくさん拝見するようになり、しみじみ、東京の舞楽はある意味、「コンパクト」なんだ、、、と思います。
管絃はもちろん、「室内楽」でいいと思います。。
管絃では繊細さ(弱々しさではなく)を極める演奏のほうが、わたし自身は好きです。
これだけは、書いておきたいと思うので。
昨日、楽部の舞楽公演(於・国立劇場)を鑑賞してまいりました。
ものすごく違和感を感じたので。
振鉾の演出、というかプログラム上の扱いについて。
今回は長保楽と春鶯囀一具がメインのプログラムでした。
春鶯囀一具が舞楽で、国立で行われるのは、一体何十年ぶりのことなのでしょう。。。
とても期待して伺いました。
そして長保楽の破、急。
堂々たる演目ですから、振鉾の一、二節が最初にあるのは、まさに「ふさわしい」と思いました。三節があってもいいくらいの、かなり重めの演目です。
ところが、最初に出ていらしたのは笛と打物のメンバーだけ。。。。
楽人の席は「がらがら」です。
これには、本当にびっくりしました。
ここ数年、国立劇場に足を運んでいなかったのですが、最近の振鉾は、こんな扱いなのでしょうか?
明治神宮など、屋外の、神社仏閣での舞楽のご奉納を御存知のかたがたなら、お分かりかと思いますが、振鉾は特に、「舞」というよりは、宗教的な意味合いの強い、どちらかというと「所作」のようなもの。
よく言われているのが一節で天を清め、二節で地を清め、三節で祖先の霊に感謝を捧げる、ということです。
大きな鉾で、空間を清める(舞台も含め)、お祓いをしているようなイメージです。
当然、ご参列の皆様も、そして演奏者も、清められている、、、、と、これまでずっと思っていました。
また、今回、このような扱いになって、振鉾は、コンサートのプログラムの独立した「演目」扱いのものではない、と改めて実感しました。
振鉾があって、華やかに龍笛、高麗笛が鳴り響き、場の雰囲気が固まり、期待感が高まったところで、調子などが鳴り響き、「さあ、いよいよ、舞楽が始まる!」という感じです。
こういった型は、誰かが頭でひねくって作り出した演出ではなく、歴史が作った、素晴らしい「演出効果」だと思います。
クラシックのバレエの独立した「曲」のようなものとはまったく意味合いが異なります。
雅楽に長年関わっておられるかたがたはお分かりかと思いますが、いってみれば、「舞楽の前の調子が終った途端に、楽人が全員引っ込んで、また出てくる」ような、奇妙な印象でした。
例えば、お相撲で、四股を踏んだ力士が、さあ、これから取り組みに、、、と思ったら、そのまま引っ込んでしまった、、、みたいな、まったく、肩すかしの、奇妙な感覚。
明治神宮や、例えば東大寺、春日大社で舞楽を拝見していると、振鉾から本命の舞楽に移る流れは自然すぎるくらいに自然です。
曲であって、曲ではない。
ですが全体にとっては非常に重要な部分。。。
六人舞の大曲があって、楽部の限られた人数では配役などのこともあって、非常に難しかったのだとは思います。
左右も、右舞から始まりましたし。。。そこは致し方ないとしても。。。
やはり国立劇場ですから、もう少し、歴史的な意味合いも考えて、今後の演出も工夫してほしい、、、と思います。もしかしたら、歴史的に、こういった舞楽の作法がかつて存在したのかもしれませんが、「今」伝承されている型は違いますし!
もちろん、コンテンポラリー作品でしたら、また意味合いは別ですが。
がっかりさせないでください、国立劇場さん。。。。
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コラボだけでなく、古典の演奏でも、
いつも「なぜ?」という疑問を持つ事は大事。
最初、型をまねていくときには、むしろ疑問を持たないほうがいいかもしれません。
言葉を覚える赤ちゃんは、まっさらな状態だから吸収が早い。
どうして、ここは、こうなっているのか?
そう考えてみて、早急に答えがでるときもあり、出ないときもあり。
10年後に、「あっ、そうか!」ということも、よくあります。
長年やってきているものの強みです。
ホリエモンが寿司屋さんの修行のことをあれこれ言って、ネットで炎上したそうですが、10年かかるものは、かかる。
そういうものは、確かにある。
でも、これまで5年かからないとできなかったものが3か月でできるようになっていく世界もある。
両方の世界があるのが、「いま」の世なんです。
それを無理に3か月でできることが5年必要なように見せかける、それが「古典的な(←よい意味の古典ではなく、因習的な、封建的な、という意味での)修行の世界」です。
そのことをホリエモンは批判していた訳です。
わたしはやはり、「僅少差」を追いかけていきたいです。
時間がかかる部分はひたすら、育て、5年を3か月に縮めるのも「技」のひとつと認め。
来年は、ひたすら集中の年だなあ。。。
ぞくぞく♪
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6月3日、無事に終了しました、スタンフォード大での雅楽に関するレクチャー。
スタンフォードから数十名の生徒さんたちが、日本に1ヶ月ほど滞在、京都を拠点としながら、様々な日本文化を体験するプログラム。
2013年に続き、授業をご依頼くださったのはカプシンスキー先生です。
カプシンスキー先生はUniversity of the Pacificのローズ先生と共同で、下記のHPも作ってくださっています。
https://ccrma.stanford.edu/groups/gagaku/
カプシンスキー先生は作曲家、ピアニストでもいらっしゃるそうです。
上記のHP、わたしもまだ全部は読んでいませんが、とても興味深いです。
雅楽の概説的な知識が得られるとともに、わたしにとっては、
「海外の研究者からは雅楽は、どのように見えているのか?」
「それはわたしたち日本人と違うのか?」
という問いかけに対する答えの端緒が、得られるからです。
あと、英語で雅楽を説明したいかたは、上記HPはすごく参考になると思います。
(日本語訳のページもありますから、そちらと合わせて)。
雅楽の、英語による説明は、ネット上で拝見する限り、「悲惨」というか、「悲壮感」が漂っているものすら、あります。。。。 正直、ないほうがいい。。。というものが大半。
しっかりしたものを出されたいのなら、プロの翻訳家のネイティブチェックは(もちろんかなり高いですが)、必須です。
さて、話を元に戻すと、海外の大学から、雅楽に対してこれだけの関心をお寄せいただくのは非常に嬉しいです。
ケルン大でしたか、伶楽舎さんが定期的に指導に行かれて、成果をあげていらっしゃいますし、雅楽はやはり、数回鑑賞しただけでは、理解できない音楽だと思います。雅楽はようやく、日本に残された貴重な世界「遺産」として認識されつつあるのですが、生きた芸能として、音楽として、舞として、非常に魅力のあるものである、、、という感覚ではまだまだ伝わっていません。
「歴史的に古い」、だから「すごい(らしい。でも聞いていて、わからない、つまらない、眠くなる、拷問のようだあ、、、二度と聞きたくない)」という感覚。
日本人でも、いきなり古典の演奏会に行くと、大半のかたがそうです。
上記のHPでも、実は実際に演奏している側からすると、「これは、分析の方向性がおかしいのでは」と思える箇所に何度か、遭遇しました。
各楽器のスペクトラ分析も、それなりの結論は出ているものの、本質から外れているのでは?と思える箇所、数カ所。
うーん、、、これは、時間がかかりますが、もしやりとりできれば、指摘していきたいところではあります。。。
たとえば、3日の授業の際に、笙の奏法で「指穴を擦りはなすときに出す、中途半端に聴こえる音」の話になり、カプシンスキー先生は、「この奏法は、実際の古典の演奏では使いません」とご説明。
わたしは、YES, we DO!!!! (いいえ、使ってますよ〜!)と絶叫。
生徒さん、爆笑。。。 (ごめんなさい、カプシンスキー先生)
これ、知らない人(意識していない、という意味でも)も多いかと思いますが、この指穴を擦っていくタイミングやテンポ、合奏全体のテンポにかなり影響しています。
CDの録音などでは、ほとんど聴こえないと思います(これは、CDの録音技術の限界というよりは、音に対する指向が違うから、と指摘しておきました)。
カプシンスキー先生は、「現代音楽の奏法の一つ」と勘違いされていたようです。
こういったことに対する理解は、かなりこぼれ落ちてしまっているなあ、、、、と感じています。
はあ、「頭のよい」人たちって。。。。
(以下、続く。と、いうか、「続けたい!」このところすごく忙しいので、希望的記述であります)
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雅楽の変遷に関していえば、だんだんと抑揚がなく平坦になっていくような気がします(でも、テンポは遅くなっている、という。。。)
30年もやっていると、昔の録音を聴くと、ああ、懐かしい、でも今の演奏はだいぶ変わってきているなあ、と感じます。
三ノ鼓など、打ち始めのところなどは、いったいどういう感覚で打っているのか?と思うぐらいに、「テンテーン」の間合いが長かったと思います(長いというか、「ねっとりと」粘っていた)。
絶妙の拍子感を体験しましたが、、、、(鉦鼓はこういうとき、初心者だとツラい)。
最近の太皷なども、さくさくと進んでいく感じは、だんだんと洋楽化してきているのかな、と思います。
時代の好みなので、仕方がないのかもしれません。。。
ただ、もちろん、べたべたと重たい、重たすぎる演奏も、垢抜けません。
拍子の感覚などは、洋楽と違って、「点」(ピンポイント)で合わせていくものではないので、加減が本当に難しいですね。
ここは合わせる、というところももちろんあります。
それができないと、演奏がぐずぐずになります。
自由度が高い部分で、各管が本領発揮できる、、、というのが。。。
理想ではあります。
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柳花苑は、一見、ABCBという曲の構成のようにみえて、実はもの凄く複雑です。
例えば入破などは、単純なABCBでおさまっています。
(いわゆる半帖がある曲)。
雅楽の曲の、この「単純な構成くずし」的なフレーズのつくりかたって、西洋のクラシックの世界では、やはり近代フランス音楽(モーリス・ラヴェルやドビュッシー)あたりがやり始めた?ことなのでは、、、と思います。
前回の「笙の響きと雅楽の愉しみ」では笙の響きの点で、フランス音楽との類似性についてお話しましたが。
西洋音楽は、偶数数から成る小節が規則的に展開していくのですが。。。
この話は、絵画論とも結びつけていくと、面白くなるのですが。。。
あさってのコンサートでは、この話まで、たどり着けないとは思いますが、そのうち、どこかでお話したいです。
柳花苑の構成は、アラベスク模様、というか、長いフレーズを少しずつ、パラフレーズさせていくところに、妙味があります。。。
まさに柳の花。。。
優雅です。
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拙ブログ右カラムにもリンクを貼ってある「春鶯囀一具」のCD。
生徒さんに今、入破をお教えしているのですが、今ひとつ感覚が掴めないようで、聴いていただきました。
あっと、これは舞楽吹きなんだ、、、と思ったのもつかの間、音の軽やかさ、巧みさに、久々に聴いて、圧倒されました。
「ノリ」が「軽い」などと表現すると誤解されそうですが(笑)、本当にノリが、軽い。
生徒さんが帰ってから思わず颯踏も聴きましたが、颯踏との対比でさらにさらに軽く演奏されているのでしょう。
学生時代に、LPで図書館から借りてきて、曲そのものの構成の凄さと演奏の凄まじさに心底感動した記憶が蘇ってきました。
ああ、いいなあ。。。演奏者もとても楽しそう。
最近のお能は、「これが芸術だ!どうだ!」という感じで、昔よりどんどん遅くなっている、という話を大学の先生から伺いました。
雅楽もそれに近くなっているのでしょうか。。。
「正確な演奏」も増えてきましたが、なんとなく、お互いに「牽制」しあっているような、妙に重厚長大な演奏になってしまうと、さわやかな、青空に抜けるような雅楽がなくなってしまうように思います。
かといって、あまりルーズにやり過ぎると、ただのだらしのない演奏に。
合わせるところをぴしゃっと合わせ、他の部分はそれぞれの管の自由度が高く、笙が全体をさりげなくサポートしている、、、なんていうのが理想なのですが(笑)。
指揮者のいない雅楽は、ジャズの境地にも似ていると思います。。。
昔の演奏、ときには「えっ!」( Д) ゚ ゚
というものもありますが
おもしろいですよ。
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そうなんです、「笙の響きと雅楽の愉しみ」のようなレクチャーをなぜ始めたか、そもそも、個人で雅楽や笙の普及活動になぜ乗り出したか、というのは、いろいろな理由があるのですが。。。
おととい、ある音楽家のかたとお話をしていて、(ああ、やっぱり。。。でも、わかります。。。)と思ったのが。。。
彼女は、何年か前に、コンサートホールで雅楽を聴かれたのだそうです。
演奏団体は素人ではなく、かなり名前のあるところ。
第一線で活躍している団体のひとつです。
でも、(ああ、わたしには無理だなあ。。。もう2度と聴きに来ないだろうなあ)と思ったとのこと。
お互いに楽器を演奏しながらいろいろ雑談していたのですが、音楽性も感受性もとても豊かなかたです。
「実は今日ねえ、、、雅楽の演奏者に会うって、なんだかすごく億劫だったの」とおっしゃられて、さらに、(。。。わかります!)と思いました。
わたしも、学生時代の最初の1年、雅楽合奏の授業で、(とりあえず、1年間で単位をとったら、履修は止めよう)と思っていましたから。
大学の副科の授業で選択してみたものの(わたしは楽理科の出身、当時東京芸大には雅楽専攻科はなかった)、合奏はなんだか長いし、辛いし(笑)。
学生主体の合奏ですから仕方なかったのですが、、、
ただ、1年後から、だんだんと面白くなってきたのです!
そして、そのまま、気がついたらもう、30年ほど。
自分でもびっくり、です
さて、その音楽家のかたも、笙を間近でお聴かせしたり、その魅力をお伝えしたりしているうちに、目がだんだんと輝いてこられました。
「こんなに面白いものだったなんて!」
(そうでしょう、そうでしょう )
そうなんです。こんな面白いものをたくさんの人にお伝えしない手はない!
こんな貴重なものを「授かった」のだから、たくさんの人にお教えしたい!
それが、わたしが個人で普及活動を始めたきっかけ、といいますか、動機、です。
雅楽は、小さい頃から触れているかたがたならいざ知らず、実は非常に難解な芸能だと思います。
わかってくると、これほど面白いものはないのですが、ストーリーがある能楽、文楽、歌舞伎、また、歌詞があるその他の邦楽ジャンルに比べて、鑑賞の「とっかかり」がないと、まったく「取りつく島」がありません。
雅楽のコンサート会場に足をお運びいただいても、(なんだか、ありがたい)と勉強した気持ちにはなりつつも、感動はなく、2度とご来場いただけないことも多々あります。
習っている人間には魅力に感じられることも、かなり音楽に精通している人たちにとってさえ、雅楽は「どう聴いていいのか、わからない」音楽です。
ただ、ちょっとした解説を加えて、「聞き手」の意識を変える(大げさなようですが、雅楽の魅力となるツボを聴く前にお伝えする)だけで、まったく反応が変わるのです。
わたしが舞台に立ち始めた大学時代は、本当に雅楽は人気がなく、楽部の演奏会なども、どこでもチケットがたくさん余っているような状況でした。多少、コンテンポラリーのほうでは活気がありましたが、古典のほうは、ほとんどまったく、と言っていいくらいに、客層が育っていなかったように思います。
皇居の楽部の演奏会場に「楽師募集」の張り紙が貼られていたような時代。
本当に子供の頃から触れている方々には、その難解さが逆に理解できないから、一般の人にどう伝え、アピールしたらいいのか、わからないのでは。。。とも思います。
世の中には例えばバレエ、例えばミュージカルと様々なエンターテイメントが質の高い舞台を提供するためにしのぎを削っています。
そんななかで、雅楽に特に魅力的を感じていただけるようにするのは、難しいのではないか。。。。
(もっとたくさんの人に受け入れていただくには、どうしたらいいのだろう。。。)と、いうことを無意識のうちにも随分と考えるようになっていました。
自分がお稽古を受けたり演奏をしたりしていて、感動する部分。それを「言葉」に置き換えるとか? お聴きいただくシチュエーションを整えるとか?
いろいろな状況設定のバリエーションが、構想として思い浮かんでいます。
また、今にして思えば、雅楽の普及のために、人生を賭けておられた、多忠麿先生の最晩年、間近でお仕事をさせていただいてきた、その影響もあって、啓蒙や普及活動に自然に力が入るような気もします。
もっともっと、大切に扱われてもいい芸能だと思っていますので。。。
まずは、小さな試みですが、少しずつ、スタートしていきます。。。
「また足を運びたくなる」コンサートを目指しています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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終了した演奏会、講義などの記録をまとめてアップしました。
https://sho3ku.cocolog-nifty.com/blog/2012schedule.html
(当ブログの左の列のウェブページにアップ)。
2011年が抜けちゃっていますが(震災と引っ越しがあった年ですね)、2012年、こうしてみると、がんばったなあ、わたし
10月19日は、本当に久々の自主企画ですので、楽しみにしています。
どうぞお楽しみに。。。
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