カテゴリー「笙・・・演奏に関して」の記事

2020年3月 9日 (月)

調子は。。。

調子は息のコントロール。

コントロールというより、自分のイメージした音に、息がついてくるように。


ひとりで演奏するときは緩急があっていいと思いますが、大勢で演奏するときは、足並みを乱さないように、淡々と。




生徒さんたちに退吹きで調子をお教えしていますが、暗譜が飛んでしまうことが多いようです。

大勢で吹くと、退吹きによって頭のなかをフレーズがループのように回り始める・・・


 


自分で自分の音を核としてしっかり吹いていないと、足元をすくわれるようなことに。


この幻惑的なループこそが魅力でもあるのですけれどね。


 

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2020年2月25日 (火)

別の管楽器のクセ!?

今日、5、6年ぶりにお稽古に来られたかた。


子供の頃から吹いておられ、割とよい合奏の機会に恵まれていらっしゃるので、唱歌がすごく上手。

最初にいらした頃は、ちょっと妙な癖がついていたのが、その癖が抜けてくれたのです。


ここ5、6年で、大変雰囲気のよい唱歌になり、聴き惚れました。

「耳」の環境に恵まれていらっしゃるのでしょう。



ところが吹くほうは、(あれあれ?)というくらい妙な吹きグセが。
数年前から気にはなっていて、ご注意は申し上げていたのですが。


特に調子はゆーらゆら、ゆーらゆら、体が乗って、動いてしまう。。。


また、体の使い方が、見覚えのある使い方。。。

これは、何か別の管楽器をやっている人の動かし方だ、とぴんっ!ときて。


↓こちらの記事も参照。
https://sho3ku.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-c915b9.html

↑(ちなみに今日いらしたかたは、気替えはきれいでした)


伺ってみたところ、案の定。

以前お教えした、別の管楽器経験者と、ほぼほぼ同じような肩の動かし方で、正直、びっくりしました。
こちらも、「この数年」で、この妙な体のクセ、何人かの生徒さんに共通していたので、「発見」できたことです。

すぐにピンときたわけです(笑)。


体で覚えてしまっている吹き方なので、なかなか抜けないとは思いますが。
音感はすごくいいかたなので、なんとか抜けてほしいな、、、と思っています。



たかが、体のクセ、と思われるかもしれませんが、


どうも「音に対する、掴みかた」というか。。。


やはり、体の使い方で雅楽の中核をなす、音の捉え方ができなくなっているように思うのです。


体をくねらせながら、書道をする人、いないでしょ?



そんな違和感です。

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2020年2月12日 (水)

わたしの基準となっているのは・・・

雅楽の元々の流れには京都方、奈良(南都)方、大阪方というのがあって、、、と言う話は何度か書いてきました。

それが明治の世になって天皇家が東京に出たことで、三方の楽人も東京に移動。


三つの派が合同でやっていこう、ということになったのが今の宮内庁楽部。


その後150年ほどが立って、昭和の最後のころと平成の最初の頃の楽部の演奏と舞に、一番影響を受けていると思います。
そしてその流れを汲んでいる演奏と舞。

雅楽は流派・・・ほどではありませんが、やはり微妙な違いはあります。


そういった違いがあって当然かと思います。


ですので、わたしがいろいろ書いていることは「正しい・正しくない」ではなく、「こういうことがあります」程度のこと。



いっとき、他の先生に指導を受けたことがあるかたや、他の団体に所属しているかたのお稽古をお断りしていた時期もありました。

わたしがお教えしている笙の吹き方が、その「団体」の雅楽合奏の演奏に合うかどうか、わからないからです。


最近はそのあたりはもっとおおらかにしています。

もっと、基礎的な部分で習いたい、というかたもいらっしゃるのと、洋楽的な説明も加えて習いたい、というかたもいらっしゃるので。






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姿勢(気配を読むために)(1)

古典では身体をゆらさないこと。
(ただ、箏に関しては、身体と手が別物になってしまっていて、指先でちょんちょん弾く、あれはいただけない)

すっとした青竹のように。

 

身体で拍子をとることは「下品」とまで言われています。

身体をくねらせるようにして音を出すのも厳禁。



これは他の邦楽のジャンルとも一緒でしょう。


身体の軸をぶらさないこと。


長年演奏していると、姿勢や見た目以外にも様々なメリットがあることがわかってきました。

全員が、ぴんと糸が張ったような演奏をしているとき、「動作」でさえも拍節に影響してきます。
(無意識レベルでも・・・)

たとえば、太皷の桴をあるところではゆったりと持ち上げ、あるところではさっと持ち上げたりしたら、、、、

動作が一定しているほうが、周りで演奏している人たちも落ち着くんです。


笙でも篳篥でも竜笛でも、ひとりゆらゆらしている人がいたら。。。。


はっきり言って、迷惑です(笑)。


これは洋楽でもそうですが、客席で、変な感じで拍子をとっている人とか、たとえば、音はしなくても音楽にのろうとして、軽く手拍子のような所作で動いている人がいたら、迷惑でしょう? 特にこちらが演奏している拍節感と微妙にずれていたら。。。


大迷惑(笑)!

その人の拍節感に従わざるを得なくなりますから。



篳篥が、身体で拍子をとれば、合わせやすいかもしれません。


拍節がはっきりしてきて、吹きやすいでしょうね。


でも、雅楽は流麗さが身上。


それに一人が「拍節」をとって先導することは、無理やり人を「従わせる」ことになります。

指揮者がいない音楽のはずが、その人ひとりの音楽に。



笙の弊害としては、身体をゆらすと、やっぱり音も微妙にゆれます。

自分のイメージでは、笙は特に古典では、光の柱のようなイメージがあるので、ゆれたらよろしくない。



笙の人も拍子をとりたくなることもありますし、息をつかうのが下手な人はどうしても身体に出てしまいます。


特に初心者の人は身体を動かすことで、ミスタッチ、間違いも多くなります。

手の形もそうです。

 

フォームを崩さないことが大事です。



拍子は身体でなく、「音」で表現しましょう。
しかも、相手に「わからせる」形ではなく「それとなく、感じられる」ように。

表現、ではなく自然に、「現れてくる」感じ、かな。
日本の伝統芸能共通のこと、かもしれません。


 

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2020年2月11日 (火)

手移りのタイミング

テンポが早くなってきたり、舞楽吹きだったりする以外のときは、手移りはおっとり、優雅に指をすり離しましょう。

雅楽は貴族の遊びですから、ゆったり移り変わるのが基本です。
急激に変わったり、アクセント的な動き、音になるのを嫌います。

 

すり離すのを長年の惰性でか、忘れてしまっている、やらなくなる(面倒くさい?)人もいますが、すり離した場合とそうでない場合、音も変わります。

4拍目で勢いをつけて、しゃっと離してぱっと移る手移りをするかたがいっとき、お稽古場に来られていました。

どうしてもそのくせが抜けなかったです。



舞楽で多少、派手に演奏することもありますが、やりすぎると下品になる、と言われてきました。。。

ただ、屋外での舞楽のときなどは、どうなんでしょうね。多少は大げさにやらないと、迫力が出ないかもしれません。

舞楽は本当に、大人数でやるもの、と思います。。。

関西で、屋外での舞楽をたくさん拝見するようになり、しみじみ、東京の舞楽はある意味、「コンパクト」なんだ、、、と思います。


管絃はもちろん、「室内楽」でいいと思います。。

管絃では繊細さ(弱々しさではなく)を極める演奏のほうが、わたし自身は好きです。

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2020年2月 9日 (日)

笙の、奏法で最重要なこと 音取など(3)

笙だけではなく、篳篥、龍笛でも拍節感は非常に大事です。

洋楽から比べたらはるかにルーズな雅楽の拍節感。
でも、上手な人が服と、周りにきちんと伝わるから不思議です。


芝祐靖先生の自由な音頭でも、どんなに間合いがあっても、次の拍の頭はここ、というのがちゃんと伝わってくる、あの自在さ。

 

 

「音取の最初の合竹、その後の一竹吹き数拍で、次の篳篥の動きが決まり、龍笛の動きが決まり、鞨鼓、琵琶、箏の動きが決まる。

その音取のテンポによって、次の曲の龍笛の音頭のテンポ、付け所からのテンポが決まる、

そうやってその日の演奏会全体のテンポや雰囲気が決まる。。。最初の数音で全てが決まるのだから、どれだけ笙の責任が重大か・・・」

 

「はい、じゃあやってみて!」

と、十二分のプレッシャーを与えておいて、忠麿先生は合奏会で生徒に吹かせるので、わたしたちはどれだけ緊張したことか(笑)。


でも、本当に「すべてがみな、繋がって、関連して動いている」と雅楽の音のつながりを大きく、壮大にとらえたら、そうなのだと思う。

よく雅楽のレクチャーで「調子はチューニングとともに場の雰囲気を整える」云々という説明をするし、たくさんの演奏会でそのような説明を聴くことも多いと思うけれども、

 

これを本気で考えている人は、少ないと思う。


そして言い訳になるけれども、思ったように音取が決まることは少ない。
緊張しているときはやはり早くなるし、楽器のコンディションがよくないときは気替えを早くにしてしまうこともある。

短いせいもあるけれども、すごくうまくいっている音取は、誰も気にもとめないことが多い。


演奏するほうも、実は何も気にしないですっと吹いて、そのまま次の曲へ入る、というのが理想。


能や歌舞伎のように、何かを表現したり、披露するような感じが雅楽にはないから、昔の大名人たちは本当にかわいそうな気もする。。。



わずかに残るレコーディングなどを聴いて、「これ、さりげなくやっているけれど、実はすごいんだよ」ということは生徒さんたち、雅楽に関心のある人たちに伝えたいと思う。

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笙の、奏法で最重要なこと 音取など(2)

さて、本題。

笙の音取、重要な役割なのに、なんとなく、吹き始めてしまう人が多い。


わたしは音取や調子は拍子で習いました。ずいぶんとたって楽部の先生でも拍子をつけないで教える先生がいらっしゃると知って、ちょっとびっくりしたのですが、もちろん篳篥が入ってくると、実際には拍子通りには事は進まなくなります。


ただ、フリーリーズムになっても、拍節感は大事です、

 

平調音取を例にとります。

音取はどれも合竹(和音)から始まりますが、一の合竹から始まって七一、下。
ここまでで音取全体のテンポ感は決まります。

さらにいうと一の合竹は大体、ゆるやかな4拍ですが、3のあたりでふくらませて、七一に入るまえに軽く落とす。

この、3で膨らませてくる感じとゆるめる感じですでに雅楽を長年やっている人には拍節感(のようなもの)が伝わってきます。

七一、下のテンポも重要。

 

で、この流れを篳篥さんが受けてくれればいいのですが、大抵は無視されます(笑)。


でも聴いているからには、必ず影響を与えているわけです。




また、同じ篳篥の音頭の人と毎回合わせるのだったら、その篳篥の人のテンポ感を覚えて、自分のほうの拍節感を調節すればいい。


以下、乞、十、下、一、乙、八、七のテンポ感も、篳篥のトオォオルゥウロ、のトオォオまで、図り続けてください。

ここまで必死で図ってください。

ここまでで大体、どういうフレーズ感で吹く人かわかりますから。


(続く)

 

 

 

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2020年2月 8日 (土)

笙の、奏法で最重要なこと 音取など(1)

雅楽の合奏では、篳篥、そして龍笛が全体の「主導権」を握ってしまいます。

雅楽で指揮者の役割を果たすのは鞨鼓、とよく言われます、

そういう部分もありますが、例えば篳篥が「アイウエオ」と言ってきたら、鞨鼓ではどうしようもない部分の方が圧倒的に多い。

鞨鼓が「アーイーウエオ」と演奏したいんだよ、、、と言ってみても、篳篥さんには通じない(笑)。


。。。ことが多いです。
ですが、鞨鼓の一打がものを言う部分もあります、もちろん。


雅楽は「この部分は篳篥、この部分は龍笛、この部分は笙、この部分は箏が、イニシアチブをとる」というのがかなりあって、そこの部分は各楽器がしっかりしないと。他の楽器はそこは委ねないと。

昔、多忠麿先生が「雅楽は、ひっぱり上手、ひっぱられ上手にならないと!!」とおっしゃっていたことが思い出されます。。。

(先生のご注意はいちいち、深かった。。。。何十年もたってから響いてくること、わかってくることがたくさんあります)

 

 

雅楽は、全員が指揮者並の能力があるのが理想的⭐️ではあります。

 

笙は、陰でずっと和音を奏でていて、壁紙のような役割、と言われています。

光降るような音、とか言われていますが、実際にはかなり地味な役割です(笑〕。

 

ですが笙は、音楽のなかで、最重要の役割をになっています。


ひとつはピッチ(律)。

もうひとつは全体のテンポ感。

曲の転換部分、節目節目で拍節がゆるくなるところのテンポ感をうまく間をもたせつつ次へと繋ぐこと。。。




もちろん、笙の演奏を聴く習慣がある、上手な人たちの合奏でのお話です。。。



今日書きたいのは音取のことで、前置きが長くなりましたが(笑)。

笙は息を「張る位置」(洋楽的に言えばクレッシェンドをかけるタイミング)によって、拍節感、テンポ感を出していく楽器です。

 

もちろん、手移りのタイミングも大事ですが。。。

 

その前の息を張りはじめる位置が大事で、その流れがあってこそ、の手移りです。

 

その流れをいかに上手につくれるか。



雅楽を始めてそろそろ40年近くになりますが、その大切さがますます見にしみてくる今日この頃です。

 

(続く)

 

 

 

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2018年4月20日 (金)

お稽古の重要なポイント

18日に東京教室を終えて、奈良に戻りました。

ピアノも割とそうなんですけれどね。。。

笙を習う人は、自分の音をよく聴く練習、訓練もしましょう。

楽器のほうがきれいかつ正確な音を出してくれるので、篳篥や龍笛に比べて、自分の音を聴いていない人が多いような気がします。

ピアノも、ものすごいテクニックと、メカニックな耳の良さがあるのに、まるでタイプライターを叩いているような、無表情なピアノ演奏をする人がいます。

笙も、一応譜面通り、手移りもできていて、気替えの位置もあっているのですが。。。

全然、自分の音を聴いていないんだなあ、、、と思える人、います。

笙も、和音(合竹)で歌っているんです。

よくお稽古のときに言いますが、

鳳凰が、羽を広げるようなイメージで

息を張りましょう。

のびのびと、優雅に。

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2018年4月10日 (火)

上手な人との合奏会の機会が多いようであれば、

前の記事にこのようなことを書きましたが、

上手な篳篥さんや龍笛さんがいて、合奏会がしょっちゅうあるような会などに所属されていたり、熱心にCDなどの演奏を聴き込んでいる人には、音程などを最初に説明しても、大丈夫だと思います。また、グループのお稽古で、周りにしっかり歌えるベテランの人が多いようであれば、問題ないでしょう。
要は「生の、『雅楽語』に触れる機会が多い人には、洋楽調のクセのようなものがつかない」ということ。。。
英語の勉強に例えれば、最初に唱歌を音名で習ってしまい、生徒さんがそれを頭のなかで洋楽のド、レ、ミの音に変換しているとすると、ローマ字だけで英語を習ってしまうようなもの、なのです。
逆に例えると、外国のかたで「ぅわたくぅしわぁ、にほんごぅをはなしますぅ」のように発音する人、時々いらっしゃいますが、そういう感じの雅楽になってしまうと、もったいないなあー、と。時代の流れ、と諦めてもいいのかもしれませんが、わたしはできるだけ、食い下がる(今の伝承を残したい)ことにしました(笑)。
拍節についても同様です。
拍節のほうは、さらに説明が難しいので、また後日。

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