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2020年12月18日 (金)

佐々木冬彦さんの訃報に接して②

*この一連の記事は、前の記事にも書きましたが、佐々木冬彦さんの追悼のため、というよりは、自分自身のために書いています。


ここ10年ほど、わたしのほうでお仕事をお願いしたり、お願いされたり、それほど回数が多いわけではなかったけれど、佐々木さんとのご縁は長い。

初めてお会いしたのは、東京芸大受験のために通い始めたソルフェージュの教室だった。
それもあって、一緒に受験を戦った「盟友」とつい、お呼びしたくなる。もちろん、ここ数年の仕事でも、結構大きな舞台もあり、わたしは依頼を受けた側であるが、佐々木さんとともに「戦って」きた感じというのは・・・なんとなく、ある。

佐々木さんは実は、高校では後輩(本当は今でも、佐々木くん、と呼びかけたい)、大学では「先輩」。

ストレートで入学された佐々木さんと違い、わたしは病気もあったりして2浪している(高校3年生にあがる直前に、原因不明の熱が下がらなくなり、大学病院で一度、膠原病に認定された)。

2浪目の受験準備のときには、楽理科の試験科目「和声」の勉強のために、わたしは佐々木家に通い、「佐々木先生」の教えを請うことになった。大学の先生のところに通うよりは、お稽古料も安くなるでしょう?というソルフェージュの先生のありがたいご発案から、だった。
それまで後輩で「佐々木くん」と呼んでいた人がいきなり先生になってしまった。

前の先生とは違い、大学に入学したての佐々木さんは、和声課題を仕上げるコツの教えかたが格段に上手で、おかげで入学後、わたしは和声の成績はとてもよかった。

佐々木さんはお父様が芸大の美術学部の教授で(名誉教授の佐々木英也先生)、お家に伺うとグランドピアノの横にはきれいな美術書が壁を埋め尽くすようにびっちりと並んでいて、当時クレーやマグリット、ルドンなどの絵画に惹かれていたわたしは、非常に羨ましく思った。

和声のレッスンが終わったあとは、和声にこだわらず、佐々木さんの音楽講釈が伺えて、むしろそちらのほうが楽しかった。

佐々木さんの作品は、フランス和声風の作品も多いように思う。わたしが関わった「天国の扉へ」や、「その橋は天へと続く」は、まさにフランス和声色が濃い(芸大の作曲科の人たちが必ず勉強する、シャラン風・・・と言ったら怒られるかな?)。

でも、佐々木さんの原点は、ドイツ音楽、ドイツ和声のほうだと思う。

ブラームスのシンフォニーをスコアを見ながら聴くと勉強になるよ、とか、堀米ゆず子さんが弾くブラームスのバイオリンソナタを聴かせてくれたり。ブラームスはピアノ・コンチェルト以外あまり聞いたことがなかったけれど、バイオリン・ソナタはその後しばらく愛聴するようになった。

どちらかといえばドビュッシーやラベルなどフランス音楽が大好きだったわたしにとっては、新しい体験だった。

ちなみに、当時の佐々木さんに、わたしはドビュッシーが好き、という話をしたところ「ドビュッシーなんて、あんなの4度と5度の(音程の)連続でばっかりで、つまらないじゃん!」と返され、ひどくがっかりしたのを覚えている。
今でこそ「月の光」!「亜麻色の髪の乙女」!ともてはやされる時代になったけれど、当時、ドビュッシーは人気がなく、特にアカデミックな教育の周辺では、軽く見られていたようだった。

高校のとき、ピアノが驚異的に上手い同級生の家に遊びにいったときに、「ドビュッシーなんか弾けても、音大受験の点にはならないから」とお母様があっさりおっしゃり、(そういう形で音楽に接する考え方があるのか・・・)と驚いたのも覚えている。

話がそれた。

後年の佐々木さんの作風がフランス音楽風に変わり、舞台の楽屋で話していたときにドビュッシーを絶賛されていたので、内心、(あらら、佐々木さん、宗旨替え?)などと思ったりもした(笑)。受験のときのころのご発言のこと、話せばよかったな。。。苦笑されたことだろう。

人はーーー音楽家に限らず、小説家、画家、クリエーター、アーティストは自分の人生が終わりに近づくときに、原点に戻るみたいだーーー

(例えば、パウル・クレーの最晩年の絵の筆致は、クレーの子供の頃の絵の筆致に似ている)。

最後に佐々木さんのFacebookにリンク付けされていたYouTube動画は、佐々木さんの昔のCDの、ブラームスの演奏だった。
ご本人も書かれている通り、奇跡の演奏。ドイツロマン派の重厚なロマンティシズムに溢れる、まさに佐々木さんでないとできない演奏。。。佐々木さんはどう思われるか、わからないけれど、改めて聴いてみて、ドイツロマン派ながら、とても日本人らしい演奏のようにも思える


 

 

佐々木さんのFacebook最後の記事に、

 

「最近youtubeにあまり投稿していなかったのですが、久々にアップロードしました。「僕の葬儀のときはこれをBGMに流してほしい」とエンディング・ノートに書いたブラームスの間奏曲4曲です。この録音は自分の演奏家人生で最も深い奇跡を感じた演奏のひとつです」

 

と、あった。。。このとき、すでに病状は悪化していたのだろうか・・・・

この記事は多分、わたしはfacebookで、佐々木さんがアップされたころに、「リアルタイム」で目にしていた、、、

なぜあのとき、すぐに連絡を取らなかったのだろう。コメントに書き込みだけでも、すればよかった。。。
前の記事にも書いた「最後のCD」ご発言のときのように、(ちょっとちょっと、佐々木さん、エンディング・ノートはいくらなんでも、早すぎない?)と感じたのは覚えている。。。

(もう、佐々木さんはほんと、完璧主義者よね、、、、ずいぶんと、準備がいいなあ)。

もちろんお話ができたところで、病気そのものをどうにかすることはできなかったけれども。。。。

追記・12月22日
佐々木さんのYouTubeチャンネルをリンクさせていただきます。
わたしもまだ聞いたことがない佐々木さんの作品、佐々木さんが愛されたドイツ・フランス音楽がアップされています。
何より、素晴らしいご自身の演奏と作品。
たくさんの人が目にされ耳にされますように。
末長く、たくさんの人に愛されつづけますように。

https://www.youtube.com/channel/UCQ1vqH2NGcMWREmkpOJi2iw


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


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