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2020年2月12日 (水)

姿勢(気配を読むために)(1)

古典では身体をゆらさないこと。
(ただ、箏に関しては、身体と手が別物になってしまっていて、指先でちょんちょん弾く、あれはいただけない)

すっとした青竹のように。

 

身体で拍子をとることは「下品」とまで言われています。

身体をくねらせるようにして音を出すのも厳禁。



これは他の邦楽のジャンルとも一緒でしょう。


身体の軸をぶらさないこと。


長年演奏していると、姿勢や見た目以外にも様々なメリットがあることがわかってきました。

全員が、ぴんと糸が張ったような演奏をしているとき、「動作」でさえも拍節に影響してきます。
(無意識レベルでも・・・)

たとえば、太皷の桴をあるところではゆったりと持ち上げ、あるところではさっと持ち上げたりしたら、、、、

動作が一定しているほうが、周りで演奏している人たちも落ち着くんです。


笙でも篳篥でも竜笛でも、ひとりゆらゆらしている人がいたら。。。。


はっきり言って、迷惑です(笑)。


これは洋楽でもそうですが、客席で、変な感じで拍子をとっている人とか、たとえば、音はしなくても音楽にのろうとして、軽く手拍子のような所作で動いている人がいたら、迷惑でしょう? 特にこちらが演奏している拍節感と微妙にずれていたら。。。


大迷惑(笑)!

その人の拍節感に従わざるを得なくなりますから。



篳篥が、身体で拍子をとれば、合わせやすいかもしれません。


拍節がはっきりしてきて、吹きやすいでしょうね。


でも、雅楽は流麗さが身上。


それに一人が「拍節」をとって先導することは、無理やり人を「従わせる」ことになります。

指揮者がいない音楽のはずが、その人ひとりの音楽に。



笙の弊害としては、身体をゆらすと、やっぱり音も微妙にゆれます。

自分のイメージでは、笙は特に古典では、光の柱のようなイメージがあるので、ゆれたらよろしくない。



笙の人も拍子をとりたくなることもありますし、息をつかうのが下手な人はどうしても身体に出てしまいます。


特に初心者の人は身体を動かすことで、ミスタッチ、間違いも多くなります。

手の形もそうです。

 

フォームを崩さないことが大事です。



拍子は身体でなく、「音」で表現しましょう。
しかも、相手に「わからせる」形ではなく「それとなく、感じられる」ように。

表現、ではなく自然に、「現れてくる」感じ、かな。
日本の伝統芸能共通のこと、かもしれません。


 


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