« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年2月25日 (火)

別の管楽器のクセ!?

今日、5、6年ぶりにお稽古に来られたかた。


子供の頃から吹いておられ、割とよい合奏の機会に恵まれていらっしゃるので、唱歌がすごく上手。

最初にいらした頃は、ちょっと妙な癖がついていたのが、その癖が抜けてくれたのです。


ここ5、6年で、大変雰囲気のよい唱歌になり、聴き惚れました。

「耳」の環境に恵まれていらっしゃるのでしょう。



ところが吹くほうは、(あれあれ?)というくらい妙な吹きグセが。
数年前から気にはなっていて、ご注意は申し上げていたのですが。


特に調子はゆーらゆら、ゆーらゆら、体が乗って、動いてしまう。。。


また、体の使い方が、見覚えのある使い方。。。

これは、何か別の管楽器をやっている人の動かし方だ、とぴんっ!ときて。


↓こちらの記事も参照。
https://sho3ku.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-c915b9.html

↑(ちなみに今日いらしたかたは、気替えはきれいでした)


伺ってみたところ、案の定。

以前お教えした、別の管楽器経験者と、ほぼほぼ同じような肩の動かし方で、正直、びっくりしました。
こちらも、「この数年」で、この妙な体のクセ、何人かの生徒さんに共通していたので、「発見」できたことです。

すぐにピンときたわけです(笑)。


体で覚えてしまっている吹き方なので、なかなか抜けないとは思いますが。
音感はすごくいいかたなので、なんとか抜けてほしいな、、、と思っています。



たかが、体のクセ、と思われるかもしれませんが、


どうも「音に対する、掴みかた」というか。。。


やはり、体の使い方で雅楽の中核をなす、音の捉え方ができなくなっているように思うのです。


体をくねらせながら、書道をする人、いないでしょ?



そんな違和感です。

| コメント (0)

ごめんなさい、間違えて記事を削除。。。

前に書いてアップロード済みの記事を誤って削除してしまいました(^_^;)

さて、コロナウィルスについて、今のところ、一番共感できる根路銘先生の記事↓

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70355?page=2

*「空気感染はあり得ない」とされている部分のみ、その後「空気感染する」、ということが確認された、とどこか別のメディアで見かけました。その部分のみ、誤りかな、とは思いますが、他の部分の主旨は共感。

コロナ、基本的には弱いウィルスのようです。

わたしがそう感じる理由は、例えば奈良で日本で最初の感染者が出ましたが(観光バスの運転手さんで、中国人ツアーの運転をされていたかた。武漢のかたがいらしたそうです)、感染力が強いウィルスなら、同じバスから、それこそ多数の感染者が発症しないとおかしい。

クルーザー船はお気の毒としかいいようがなく、上記の根路銘先生のご指摘だと、「最悪」の隔離状況のなか、長期にクルーザー船に閉じ込められていたわけですから・・・それは、ウィルスの培養炉と表現したドクターもいるくらい、見事に広まっていますが。

日本で発症している人たちも、「その周りで」発症している人が少なすぎます。
感染力が強いのなら、まとめて20人から30人は同じ場所にいた人たちが、ほぼ同時に発症してもいいはずです。


WHOが昨日(24日)、見解を発表していますが、同じ発表に対して、「パンデミックにあたらず」としているところと、「世界はパンデミックの備え必要」と捉えているところがあって、いったい???と思います(局長の、「パンデミックとも言えるし、そうでないとも言える〜」みたいな発言が原因のようですが(^_^;)。


WHO、早めに根路銘先生のような、具体的な対策を打ち出してくれていればよかったのに(^_^;)


「つまり、呼吸器感染症では、インフルエンザウイルスは横綱級、コロナウイルスは関脇以下程度だと私は言っているんです。

強い危機宣言をしないWHOに対して、トップの辞任要求の動きが広がっていて、それに乗じた著名人すら出ていますが、WHOの認識は正しいんです」ーーー上記の記事から引用




・・・と、この記事の下書きを書きかけていて、うっかりアップしてしまったと思い、前の記事を消してしまったのですが、とにかく、笙の調律以外は、普段の風邪予防程度の用心で日々を過ごしています。

あ、お風呂はいって早く寝ます(^_^;)



| コメント (0)

2020年2月22日 (土)

休岡八幡宮御遷座祭 

奈良・薬師寺の東塔の修理が終わり、数年ぶりに覆いがはずされて話題となっていますが、その裏でもうひとつの修理が行われていました。

薬師寺の鎮守、休岡八幡宮様での檜皮葺の屋根の修復です。
数十年ごとに行われる大規模な修理で、下遷宮のときのお祭りの際にはわたしも祭典楽で参加させていただきました。

一般的に神社様の社殿などの修理の際にはまず、神様にいったん別の場所にお移りいただいて、それから修理、、、となります。

東京にいたときに、小さな神社さまの修理があり、その祭礼の奏楽に伺ったことがあります。


その神社様では「お御霊(おみたま)移し」とおっしゃっていました。

暗闇に警蹕の声が響き、汚れを移さないように白布をマスクのようにつけた神職さんたちが慎重に慎重に、ご神体をお運び申し上げて移動していきます。

神様に「お引越し」いただくときは、夜にご移動いただきます。


暗闇のなかを執り行われるご祭儀は、どんなに小規模であっても、とても厳かで、感慨深いものがあります。



3月21日、休岡のご神殿に神様が戻ってこられます。
小規模ですが道楽もあり、お能のご奉納も行われます。

わたしは祭典楽のほうで伶人として参加しますが、奈良でお稽古を受けている笙の生徒さんたちの祭典でのご奉納演奏も加えさせていただくことにしました(御奉納演奏をする4名のうち、おひとりは東京からご奉納にみえられます)。

平調調子三句目まで。短いですが、緊張する一瞬となりそう。。。

特に神社、お寺、天理教などとは関係なく、趣味で笙を吹いておられるかたがたばかりです。
笙のお稽古のなかで、神道や仏教、皇室文化などに興味をお持ちくださったかたもいらっしゃいます。

今回のご遷座での奏楽は、そうそうないことですので、敢えて参加させていただくことにしました。


夜18時から開始となります。
どなたでもご覧いただけます。
お近くのかた、ご関心お持ちいただけるかたは、ご参列されてみてはいかがでしょうか。

祭典楽のほうは三管揃います。



| コメント (0)

2020年2月13日 (木)

笙の息遣い

管楽器は健康にもいい、とも言われていますが。

笙の場合は、長時間ずっと「口呼吸」になるわけですから、体にいいのかどうか・・・一度整体師さんとかに伺ってみたい。


さて、笙は吸っても音が鳴る楽器です。

篳篥や龍笛の人で、女性でも楽そうに笙を吹いているのを見て(楽ではない!)、

肺活量がいらない楽器と思っているかたが多いと思います。



いえ!!笙はとっても苦しい楽器です。
口から長時間吸い続けるのって、結構、苦しい。



篳篥、龍笛は瞬発力勝負のようなところもある楽器ですが、笙の場合、細く長く息を維持しなければならない。

篳篥や龍笛が水泳で言えば、クロールとかバタフライとすれば、笙は「潜水」みたいな感じでしょうか(きつそうでしょう?)


で、この苦しさを和らげるために必要なのが、

 

ひとつは姿勢

 

もうひとつは


複式呼吸です

 

笙は苦しくなってくると肩をぎゅっと縮め

 

首が前に出てきがちですが、


普段からこの姿勢になっている人、多いです。


「はい、構えて」というと、

まるでスイッチが入ったかのように「かちっ」と肩に力がはいる

 

これをやっていると自然に胸式呼吸になりやすい。



かなり年数を長くやっておられるかたでも多いです。




楽に吹ける姿勢、自分でも工夫されるといいと思います。

こちらの記事とも関係あります↓  あ、こちらの記事の続きも書かねば(^_^;)
https://sho3ku.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-ee2211.html

| コメント (0)

2020年2月12日 (水)

わたしの基準となっているのは・・・

雅楽の元々の流れには京都方、奈良(南都)方、大阪方というのがあって、、、と言う話は何度か書いてきました。

それが明治の世になって天皇家が東京に出たことで、三方の楽人も東京に移動。


三つの派が合同でやっていこう、ということになったのが今の宮内庁楽部。


その後150年ほどが立って、昭和の最後のころと平成の最初の頃の楽部の演奏と舞に、一番影響を受けていると思います。
そしてその流れを汲んでいる演奏と舞。

雅楽は流派・・・ほどではありませんが、やはり微妙な違いはあります。


そういった違いがあって当然かと思います。


ですので、わたしがいろいろ書いていることは「正しい・正しくない」ではなく、「こういうことがあります」程度のこと。



いっとき、他の先生に指導を受けたことがあるかたや、他の団体に所属しているかたのお稽古をお断りしていた時期もありました。

わたしがお教えしている笙の吹き方が、その「団体」の雅楽合奏の演奏に合うかどうか、わからないからです。


最近はそのあたりはもっとおおらかにしています。

もっと、基礎的な部分で習いたい、というかたもいらっしゃるのと、洋楽的な説明も加えて習いたい、というかたもいらっしゃるので。






| コメント (0)

姿勢(気配を読むために)(1)

古典では身体をゆらさないこと。
(ただ、箏に関しては、身体と手が別物になってしまっていて、指先でちょんちょん弾く、あれはいただけない)

すっとした青竹のように。

 

身体で拍子をとることは「下品」とまで言われています。

身体をくねらせるようにして音を出すのも厳禁。



これは他の邦楽のジャンルとも一緒でしょう。


身体の軸をぶらさないこと。


長年演奏していると、姿勢や見た目以外にも様々なメリットがあることがわかってきました。

全員が、ぴんと糸が張ったような演奏をしているとき、「動作」でさえも拍節に影響してきます。
(無意識レベルでも・・・)

たとえば、太皷の桴をあるところではゆったりと持ち上げ、あるところではさっと持ち上げたりしたら、、、、

動作が一定しているほうが、周りで演奏している人たちも落ち着くんです。


笙でも篳篥でも竜笛でも、ひとりゆらゆらしている人がいたら。。。。


はっきり言って、迷惑です(笑)。


これは洋楽でもそうですが、客席で、変な感じで拍子をとっている人とか、たとえば、音はしなくても音楽にのろうとして、軽く手拍子のような所作で動いている人がいたら、迷惑でしょう? 特にこちらが演奏している拍節感と微妙にずれていたら。。。


大迷惑(笑)!

その人の拍節感に従わざるを得なくなりますから。



篳篥が、身体で拍子をとれば、合わせやすいかもしれません。


拍節がはっきりしてきて、吹きやすいでしょうね。


でも、雅楽は流麗さが身上。


それに一人が「拍節」をとって先導することは、無理やり人を「従わせる」ことになります。

指揮者がいない音楽のはずが、その人ひとりの音楽に。



笙の弊害としては、身体をゆらすと、やっぱり音も微妙にゆれます。

自分のイメージでは、笙は特に古典では、光の柱のようなイメージがあるので、ゆれたらよろしくない。



笙の人も拍子をとりたくなることもありますし、息をつかうのが下手な人はどうしても身体に出てしまいます。


特に初心者の人は身体を動かすことで、ミスタッチ、間違いも多くなります。

手の形もそうです。

 

フォームを崩さないことが大事です。



拍子は身体でなく、「音」で表現しましょう。
しかも、相手に「わからせる」形ではなく「それとなく、感じられる」ように。

表現、ではなく自然に、「現れてくる」感じ、かな。
日本の伝統芸能共通のこと、かもしれません。


 

| コメント (0)

2020年2月11日 (火)

近所の顔なじみの猫が。。。

亡くなったみたいだ(;ω;)

野良でおばあちゃん猫で、ものすごく人懐こかったちゃとらの小さい猫だ。

 

残されたデブ男君(でぶっとかっぷくがよい無愛想猫)がもう、通りかかるたびに擦り寄ってくるすり寄ってくる。

 

遠くからでも、みかけるとにゃーーーんと、声をかけてくる。

 

走り寄ってくる、走り寄ってくる。。。

 



お前もさびしいんだね。。。さびしいね(;ω;)。

 

 

 

| コメント (0)

手移りのタイミング

テンポが早くなってきたり、舞楽吹きだったりする以外のときは、手移りはおっとり、優雅に指をすり離しましょう。

雅楽は貴族の遊びですから、ゆったり移り変わるのが基本です。
急激に変わったり、アクセント的な動き、音になるのを嫌います。

 

すり離すのを長年の惰性でか、忘れてしまっている、やらなくなる(面倒くさい?)人もいますが、すり離した場合とそうでない場合、音も変わります。

4拍目で勢いをつけて、しゃっと離してぱっと移る手移りをするかたがいっとき、お稽古場に来られていました。

どうしてもそのくせが抜けなかったです。



舞楽で多少、派手に演奏することもありますが、やりすぎると下品になる、と言われてきました。。。

ただ、屋外での舞楽のときなどは、どうなんでしょうね。多少は大げさにやらないと、迫力が出ないかもしれません。

舞楽は本当に、大人数でやるもの、と思います。。。

関西で、屋外での舞楽をたくさん拝見するようになり、しみじみ、東京の舞楽はある意味、「コンパクト」なんだ、、、と思います。


管絃はもちろん、「室内楽」でいいと思います。。

管絃では繊細さ(弱々しさではなく)を極める演奏のほうが、わたし自身は好きです。

| コメント (0)

2020年2月 9日 (日)

他の管楽器の経験がある人は、

篳篥や龍笛はいわずもがな、吹奏楽などでフルート、クラリネット、オーボエなどをやっている人、サックスなどの経験がある人、ずばり言いますが、

 

笙を始められても、気替えが汚い人が多いです😞
(スミマセン、単刀直入ですが・・・)

 

特に笙を始める前の感楽器で相当の腕前がある人、吹いて楽器を鳴らすことが体に染み付いているので、気替えがきれいじゃないのと、「洋楽の拍節感」と呼吸がもう、一致してしまっているので、そのくせがずっと抜けないことが多い。

わたしのところに習いにこられているかたで、すごく熱心に勉強してくださっているのに、もう何年も吹奏楽のくせが抜けない人がいらっしゃいます。。。だいぶよくなってきていますが、体をしゃくるようにして演奏してしまう。。。

だいぶよくなってきているので、あともう少し、でしょうか。

 

あるところを抜けると、吹く管楽器のくせが抜ける人も多いので、決して抜けないくせではありません。
(ただ、苦労はされると思います)。



ですから、特に洋楽器の管楽器をやっている人で、笙をやる人には、古典がある程度演奏できるようになってから、コラボなどもやってほしい、、、と思います。

 

笙の笙たる演奏方法を身につけてから、コラボを考えたほうが、笙らしい音色も演奏も活きると思うので。


ハーモニカみたいにパンパン吹くことも、わたしもやりますけれども、素地の部分では古典的な吹き方でいきたいです。

と、いうか、もうそういう吹き方に自然になってしまうかな。。。


それが、わたしの音、ではあります。


そして、それは良いか悪いかではなく、好みの問題でもあります。。。

 

 

| コメント (0)

笙の、奏法で最重要なこと 音取など(3)

笙だけではなく、篳篥、龍笛でも拍節感は非常に大事です。

洋楽から比べたらはるかにルーズな雅楽の拍節感。
でも、上手な人が服と、周りにきちんと伝わるから不思議です。


芝祐靖先生の自由な音頭でも、どんなに間合いがあっても、次の拍の頭はここ、というのがちゃんと伝わってくる、あの自在さ。

 

 

「音取の最初の合竹、その後の一竹吹き数拍で、次の篳篥の動きが決まり、龍笛の動きが決まり、鞨鼓、琵琶、箏の動きが決まる。

その音取のテンポによって、次の曲の龍笛の音頭のテンポ、付け所からのテンポが決まる、

そうやってその日の演奏会全体のテンポや雰囲気が決まる。。。最初の数音で全てが決まるのだから、どれだけ笙の責任が重大か・・・」

 

「はい、じゃあやってみて!」

と、十二分のプレッシャーを与えておいて、忠麿先生は合奏会で生徒に吹かせるので、わたしたちはどれだけ緊張したことか(笑)。


でも、本当に「すべてがみな、繋がって、関連して動いている」と雅楽の音のつながりを大きく、壮大にとらえたら、そうなのだと思う。

よく雅楽のレクチャーで「調子はチューニングとともに場の雰囲気を整える」云々という説明をするし、たくさんの演奏会でそのような説明を聴くことも多いと思うけれども、

 

これを本気で考えている人は、少ないと思う。


そして言い訳になるけれども、思ったように音取が決まることは少ない。
緊張しているときはやはり早くなるし、楽器のコンディションがよくないときは気替えを早くにしてしまうこともある。

短いせいもあるけれども、すごくうまくいっている音取は、誰も気にもとめないことが多い。


演奏するほうも、実は何も気にしないですっと吹いて、そのまま次の曲へ入る、というのが理想。


能や歌舞伎のように、何かを表現したり、披露するような感じが雅楽にはないから、昔の大名人たちは本当にかわいそうな気もする。。。



わずかに残るレコーディングなどを聴いて、「これ、さりげなくやっているけれど、実はすごいんだよ」ということは生徒さんたち、雅楽に関心のある人たちに伝えたいと思う。

| コメント (0)

笙の、奏法で最重要なこと 音取など(2)

さて、本題。

笙の音取、重要な役割なのに、なんとなく、吹き始めてしまう人が多い。


わたしは音取や調子は拍子で習いました。ずいぶんとたって楽部の先生でも拍子をつけないで教える先生がいらっしゃると知って、ちょっとびっくりしたのですが、もちろん篳篥が入ってくると、実際には拍子通りには事は進まなくなります。


ただ、フリーリーズムになっても、拍節感は大事です、

 

平調音取を例にとります。

音取はどれも合竹(和音)から始まりますが、一の合竹から始まって七一、下。
ここまでで音取全体のテンポ感は決まります。

さらにいうと一の合竹は大体、ゆるやかな4拍ですが、3のあたりでふくらませて、七一に入るまえに軽く落とす。

この、3で膨らませてくる感じとゆるめる感じですでに雅楽を長年やっている人には拍節感(のようなもの)が伝わってきます。

七一、下のテンポも重要。

 

で、この流れを篳篥さんが受けてくれればいいのですが、大抵は無視されます(笑)。


でも聴いているからには、必ず影響を与えているわけです。




また、同じ篳篥の音頭の人と毎回合わせるのだったら、その篳篥の人のテンポ感を覚えて、自分のほうの拍節感を調節すればいい。


以下、乞、十、下、一、乙、八、七のテンポ感も、篳篥のトオォオルゥウロ、のトオォオまで、図り続けてください。

ここまで必死で図ってください。

ここまでで大体、どういうフレーズ感で吹く人かわかりますから。


(続く)

 

 

 

| コメント (0)

2020年2月 8日 (土)

まだ誰も聴いたことがない音を

一昨年の大量出血から一年が過ぎ

 

昨年はずいぶんいろいろなことを考えた

 

これまでの活動のこと

 

今後の活動のこと



今もまだ考えている



コラボやらライブハウスでの演奏やら


雅楽でやるのは大嫌いだったわたしが




ふとしたきっかけで出るはめになったライブが面白くて

 


たくさんのミュージシャンとの出会いもあって



本気で関わりたくなった 本当の

 

自分のなかの音に出会い始めたのがこの頃だった




それがたしか12年ほど前だっただろうか





その後CDを出したり、奈良に引っ越してきたり



試行錯誤をしながらここまでやってきて




まだ、「誰も聴いたことがないような音を」という望みは果たせていないし

 

インスピレーションを自由に音にする境地にはまだ遠い

 

もっとも

 

鳴らした音すべて自分の音、だけどね




というか、ループマシンとかマイクとか揃えてようやく 自分の絵筆が整ったのがここ1、2年




ここからがスタート

 

ここからが自分の絵を描きはじめる時期にはいる


インスピレーションが壮大に膨れ上がる

 

 

これからの12年がまた始まる。。。

| コメント (0)

笙の、奏法で最重要なこと 音取など(1)

雅楽の合奏では、篳篥、そして龍笛が全体の「主導権」を握ってしまいます。

雅楽で指揮者の役割を果たすのは鞨鼓、とよく言われます、

そういう部分もありますが、例えば篳篥が「アイウエオ」と言ってきたら、鞨鼓ではどうしようもない部分の方が圧倒的に多い。

鞨鼓が「アーイーウエオ」と演奏したいんだよ、、、と言ってみても、篳篥さんには通じない(笑)。


。。。ことが多いです。
ですが、鞨鼓の一打がものを言う部分もあります、もちろん。


雅楽は「この部分は篳篥、この部分は龍笛、この部分は笙、この部分は箏が、イニシアチブをとる」というのがかなりあって、そこの部分は各楽器がしっかりしないと。他の楽器はそこは委ねないと。

昔、多忠麿先生が「雅楽は、ひっぱり上手、ひっぱられ上手にならないと!!」とおっしゃっていたことが思い出されます。。。

(先生のご注意はいちいち、深かった。。。。何十年もたってから響いてくること、わかってくることがたくさんあります)

 

 

雅楽は、全員が指揮者並の能力があるのが理想的⭐️ではあります。

 

笙は、陰でずっと和音を奏でていて、壁紙のような役割、と言われています。

光降るような音、とか言われていますが、実際にはかなり地味な役割です(笑〕。

 

ですが笙は、音楽のなかで、最重要の役割をになっています。


ひとつはピッチ(律)。

もうひとつは全体のテンポ感。

曲の転換部分、節目節目で拍節がゆるくなるところのテンポ感をうまく間をもたせつつ次へと繋ぐこと。。。




もちろん、笙の演奏を聴く習慣がある、上手な人たちの合奏でのお話です。。。



今日書きたいのは音取のことで、前置きが長くなりましたが(笑)。

笙は息を「張る位置」(洋楽的に言えばクレッシェンドをかけるタイミング)によって、拍節感、テンポ感を出していく楽器です。

 

もちろん、手移りのタイミングも大事ですが。。。

 

その前の息を張りはじめる位置が大事で、その流れがあってこそ、の手移りです。

 

その流れをいかに上手につくれるか。



雅楽を始めてそろそろ40年近くになりますが、その大切さがますます見にしみてくる今日この頃です。

 

(続く)

 

 

 

| コメント (0)

« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »