遊べや遊べ
昨日は鹿の舟にて、特別講座「花と仏像講座」の「春日若宮おん祭」の回、杉謙太郎さんの立華奉納で笙の演奏をさせていただきました。
写真がないのが本当に残念です。
↓ご参考までに。
https://guillemets.net/tag/%E6%9D%89%E8%AC%99%E5%A4%AA%E9%83%8E/
でも、考えようによっては、「ない」からいいのでしょう。
写真は写真。立華奉納は動的です。
でも、映像でもあの雰囲気は、特に再現が難しそう。
ろうそくの明かりだけで、花が立てられ、おひとりおひとりが手をついて拝見していく。。。
宗教的な、緊張感。。。
そんななかで笙を奏でました。
透き通った水面にそびえたつような古木、そしてもみじ。
とてつもなく宇宙と響きを感じさせるものでした。。。
いろいろとね。
器が、経文を入れたものが発掘されて、、、とか、台は⚪︎○寺の古材とか。
後付けで入ってくる「知識」もありましたけどね。
それは、
後付けで。
あの空間と杉さんの所作と。そのなかで音を遊ばせた、
その体験だけが貴重で。
後付けは、また別立ての知的な「遊び」だあな、、、と思いました。
神楽歌に
汝(まし)も神ぞや 遊べ遊べ
君も神ぞや 遊べ遊べ
と、あります。
おん祭もそうですが、「遊ぶ」の意味が現代語の遊ぶとかなり違うように感じます。
神様に「こちら側」にいらしていただいて、お遊びいただく。
現代語では「遊ぶ」って、たとえば、
「遊んでいないで、仕事、仕事!」とか?
いい意味ではないことも多いと思います。
でも、「遊び」って、人の本義、神の本義ではないでしょうか?
↓数日前にこんなことも書きましたが、
https://sho3ku.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-aec220.html
「遊び」の高貴な意味を復権したいなあ。。。
なんて(笑)。
さて、昨日の演奏で関西圏でのお仕事は仕事納め。
実は、11月に父が急逝し、今月に入り、さまざまなことが少し落ち着いてきたかとおもいきや。。。
母が転んで大腿骨骨折。
昨日が手術でした。
幸い経過は良好とのこと。。。
明日、急ぎ千葉のほうに戻ります。。。
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