今月は、「振り返る」月、「未来へ向かう」月。。。
明日で3月も終わりですが。
これはお仕事ではありませんが、3月は上旬は東大寺修二会。
これはやはり壮大な行です。年数が古いとか、構成がすごい、とか、それだけではないです!大体、世界的にも音楽の根源って宗教が関わっていることが多いのですが。。。その根源が、これだけ長期間に渡る行として洗練されつつ、古形をとどめて残っているって。。。
20代の頃から通って通って。ほぼ全行を若いうちに体験できたのは、幸いでした。
行を体験、、、と行っても、外陣に張り付いて、ひたすら観て、聴いていただけですけれど(笑)。
今回はひさびさに下七日の晨朝を聴聞しましたが、自分の音楽のベースに、修二会の体験が色濃く影響していることに改めて気がつきました。
自分が想像していた以上に、わたしはさまざまな点で修二会から恩恵を受けています。。。
そんな話を書いていると、A4で5枚ぐらいは、すぐに終わってしまいそうですので(笑)、それはひとまず別の機会に!
さて、笙の演奏では、まず、お世話になっています京都・瑞光寺様での元政上人350年遠忌で伶人としてご奉仕させていただきました。
日蓮宗では珍しい、天台の声明の節回しによる法華懺法はこちらのお寺独自のものだそうで、三管による盤渉調の曲が、しめやかに堂内に響きわたりました。
やはり東大寺修二会にも法華懺法はあります。
でも、その声明の根本はおおらかで明るいです。修二会全体のなかでは、哀調を帯びた雰囲気で響くところではありますが。。。
かたや天台の声明は、微細な音程を駆使して技巧を凝らし、陰影や濃淡があります。
時代のニュアンス、土地柄のニュアンスの違いを反映しているように思います。
今年は特別に奏楽があったということで、貴重な経験をさせていただきました。
翌日3月19日は西宮の妙寶寺様での春のお彼岸法要での奏楽。
こちらではうって変わって春の空気が漂うようにと、双調の曲を奏しました。
「彼岸」からこちら側って、どう見えるのかな。一説には、こちらがわの世界のほうが本当は「死」のような世界だそうな。。。
戻ってこられた魂にも「春の音」は響いてくれたのでしょうか。。。
さて、翌週の3月25日は、薬師寺の休ヶ岡八幡宮にて、生徒さんたちとのご奉納演奏を挙行。
東京、京都、兵庫、大阪の生徒さんたちが集まり、ご神前にて「芸事上達」を祈って調子と陪臚を演奏しました。
全員緊張の面持ち、、、でしたが、それぞれが格別の体験をされたようです。
ご奉納後に、その体験を自分の言葉で語ってくださる生徒さんもいれば、メールで綴ってくださった生徒さんもいます。
そういった気持ちに接しているちに、自分の「初心」に戻れたような気がします。
わたしにとっても非常に深い体験でした。
奈良の青い空の元、堂々たる薬師寺の塔の側、古式ゆかしいご神殿の前での奏楽。
笙の音色と龍笛の響きは天に吸い込まれるように昇っていきました。
実はわたしたちのご奉納演奏のあとに、これから薬師寺の花会式に望まれるお坊様がたがお祓いを受けにいらっしゃるというので、生徒さんだけでなくわたしも、緊張しました。
無事に終わって本当にほっとした奏楽でした。
そして26日の薬師寺花会式でのご奉納演奏!
スティーブ エトウさん、レナード衛藤さんご兄弟、そして龍笛の出口煌怜さん、篳篥の高木了慧さんとのコラボ!
スティーブさん、レナードさんのご共演、実は数年前に京都の磔磔というライブハウスに聴きにいったことがあります(これがまた凄かったのです!)。
元々、学生時代から韓国のサムルノリやアフリカのパーカッションなどなど、ノリのよいパーカッション系の音は大好き。
今回は、わたしは「雅楽」という形で最初と最後数分、即興的な雰囲気で入るだけでしたので、中間部は笙を温めながら、お休み。
お陰でかなりの至近距離でお二人の演奏を堪能させていただく光栄に預かりました(役得とは、まさにこのこと!笑)
まあ、
なんというか、スリリングな30分。。。仕掛け、仕掛け返し、じわじわとそりが同調してきて、ぴーんと糸が張ったような流れが出来て、一瞬にしてまた次の流れへ。
心地よい集中と開放感。
時間がぎゅっと濃くなった、あっという間の30分でした。
雅楽のほうでは出口さんのソロの部分の即興が印象的。
こういうコンテンポラリーな感じでのテクニカルな即興は出口さんはお手の物です。
高木さんはアジア的な雰囲気のメロディーで入ってこられたり、また笙の音の推移もよく聴いてくださって、とてもやりやすかった!
それにしても、あー、寒かった!
皆様、本当にお疲れさまでした。。。
わたしは「ご近所」ですから一番楽をさせていただきました(笑)。
お声がけくださった、スティーヴさん、心より感謝です。
薬師如来様も、(1400年来、聴いたことがない、めずらかな音がする、、、??)と微笑まれたのでは?(笑)。
(写真は出口煌玲さんよりお借りしました)
こういった歴史的な場と、コンテンポラリーな試みは、本来とてもよく合うのでは、と思っています。奈良時代の奈良、というのは、日本の政治を固める上で、まさに「実験的」なことばかりしていた土地柄、外来の仏教を導入したり、唐を始めとする国際的な文化や外国人がどんどんなだれ込んできたり。本来、「和」というのは、実はいろいろなものと混じり合うことができる「柔らかさ」(柔和)と吸収力の強さ(親和性)を含んでいるのでは。。。と思います。それが時代が下るにつれて、厳しさを求めたり、だんだんと排他的になってしまったり、、、
柔和であって親和性が強いもの、、、これからの時代には必要なのでは。
(なんだか、アルカイックスマイル、そのもの)。
2017年の3月は、駆け抜けてみると、雅楽に関わりだしたころを振り返り、奈良時代の、奈良の都を思いつつ、、、
平成の世で笙を奏でることの意味を改めて強く感じたひと月でした。
そしてもちろん、「今」奈良にいることの意味も、意義も。。。
その平成も、、、あと少しで終わるのかなあ。。。
未来は、いつだって名前がないのよね。
4月からは、また気持ちも新たに。
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