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2015年12月29日 (火)

繰り返し問う、「なぜ?」

コラボだけでなく、古典の演奏でも、

いつも「なぜ?」という疑問を持つ事は大事。

最初、型をまねていくときには、むしろ疑問を持たないほうがいいかもしれません。

言葉を覚える赤ちゃんは、まっさらな状態だから吸収が早い。

どうして、ここは、こうなっているのか?

そう考えてみて、早急に答えがでるときもあり、出ないときもあり。

10年後に、「あっ、そうか!」ということも、よくあります。

長年やってきているものの強みです。

ホリエモンが寿司屋さんの修行のことをあれこれ言って、ネットで炎上したそうですが、10年かかるものは、かかる。

そういうものは、確かにある。

でも、これまで5年かからないとできなかったものが3か月でできるようになっていく世界もある。

両方の世界があるのが、「いま」の世なんです。

それを無理に3か月でできることが5年必要なように見せかける、それが「古典的な(←よい意味の古典ではなく、因習的な、封建的な、という意味での)修行の世界」です。

そのことをホリエモンは批判していた訳です。

わたしはやはり、「僅少差」を追いかけていきたいです。
時間がかかる部分はひたすら、育て、5年を3か月に縮めるのも「技」のひとつと認め。

来年は、ひたすら集中の年だなあ。。。

ぞくぞく♪

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2015年12月28日 (月)

不思議。

本物を求め続けていくと、いろいろなものがつながりだす。

まさか、「あそこ」と「あれ」が繋がるとはね!

今年のゴールデンウィークからずっと追いかけているアーティストがいて、ほとんど病気のようだけれど(笑)、自分の勘に感謝。

来年は、ほんとうにおもしろくなりそう。

いえ、来年から、が、スタートになるのかな。

ふっふっふ。

独り言〜♪

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2015年12月21日 (月)

笙のリード 温度管理

先日、生徒さんからお稽古日前日にメールが届きました。

帯がはずれて楽器がばらばらになってしまい、しかも乙のリードが見当たりません、とのこと。

幸いなことに楽器はなんとか組み直したけれどもリードがない???

消えるはずはないので、、、とお伝えしましたら、袋のなかから、出てきたようです

翌日、調律の道具を持っていって、リードを拝見しましたら。。。

あら、錘(しず、ともいいます)がへたっている。。。

温め過ぎたことがあるのでしょう、じわっとにじむように錘が溶けかけていました。

ただ、重症ではなく(錘が溶けて流れていたり、などのことはなく)、そのまま管に取り付けて鳴らしてみました。

ところが、吹いて、吸ってみたところ。錘がとれて、わたしの口の中に!!!

幸い、舌に残ったので飲み込みませんでしたが、、、

実は鉛の粉を混ぜてあるので、錘は結構、毒性があるらしいのです。。。

一瞬、慌てました!!!

(このあたり、金属の毒性について専門家に伺いたい、と思いながらもう何年も経ってしまっています。。。)

さて、こういったことは(リードがはずれる、錘が落ちる)、下記のような状態で起こります。

1、楽器を温めすぎると蜜蠟が溶けたり、ゆるんだりする。
錘が溶けて流れると、リードの振動部分が塞がり、鳴らなくなる。
そこまでいかなくても、もちろんピッチは狂ってくるでしょう。

2、さらに温めすぎると、リードをとめてある蜜蠟もとけて、リードが流れてしまう。

3、逆に比較的固めの(粘性が低い)蜜蠟でリードを止めていて、冬場の非常に温度が低い状態で楽器を温めていないと、何かの拍子で「ぱりっ」とリードがはがれおちてしまうことがある。

あるいは何年も調律をしていないと蜜蠟がぱさぱさになり、やはりちょっとした衝撃だけで、ぱりっと落ちることがある。

4、また、温め過ぎもよくないけれど、温めたものの、それが十分でないと、青石が湿気を吐き出しきれず、リードに残ったままになる。
そうなるとピッチが狂ってきたり、一時的に鳴らなくなる。
また青石の下端の部分から変色してくる。
リードの軽い腐食のような状態。
こうなってくるとピッチのほうは相当狂ってきます。またもう温めても元に戻りませんので、いわゆる「洗いがえ調律」を行なわないと、リードはきれいになりません。

*ここでいう「蜜蠟」とは、純粋な蜜蠟でなく、松脂とミツバチの蜜蠟を笙の調律のために何十時間もたいたものをいいます。

とにかく、「これでもか」というくらいに温度管理に関して、生徒さんたちに細かくお願いしているのは、上記のようなことを防ぐためです。

口を酸っぱくしていいますが、「お姫様のような楽器」ですから、「ご機嫌をとるのが大変」なのです

どうか大切に大切に、扱ってあげてくださいね。

お稽古のほうは、その場で錘を作って、無事にできました。

青石は辛うじてこすれていませんでしたので。。。

お姫様の「ご機嫌」は、なんとか直りました(笑)。

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2015年12月17日 (木)

今年は特にこの台詞が響く


今年もだんだん残り少なくなりますが、国内だけでなく世界情勢でもいろいろなことがありました。

ふと拾ったこの映画のエンディング。。。

あの有名な音楽とともに、じわじわと、響きます。。。


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一昨日、奈良に戻りました。

今回の東京も予定が結構ぎっしり。

最終日は午前中に東京でお稽古、新幹線に飛び乗って、現在聴講中の帝塚山大学文化創造学科・牟田口先生の授業へ、やや遅刻気味ながら駆け込みました。
「中国の正倉院」と言われている法門寺に関するお話が興味深く、面白かったです。

中国の奥地、、、

やはり一度は行ってみたいですね。

文化の保存、保護について、いろいろと思いを巡らせました。

正倉院にしても、他の建造物にしても、残るはずはないようなものが残っている。。。

たくさんの人たちの努力もあり、また偶然のなせる技もあり。

でも、残ってきたものは、時代の変容に合わせて、残してきた人たちがいたから、残ってきたのではないだろうか。。。

そして、変わっていくことを恐れては、新しいものが生まれない、ということも実感しました。

奈良朝の雅楽と平安朝の末期の雅楽は、おそらく相当に「別物」です。

わたしが現在完了進行形(笑)で行きている、昭和末期から平成の雅楽の世界も、たかだか30年程度で変容してきています。

今の雅楽を100年前の楽人さんがお聞きになったら、顔をしかめられるだろうなあ。。。

さて、今回の東京滞在。

いつものお稽古に加え、東京教室としては久々の合奏会。

越殿楽、五常楽、入破などを篳篥の三浦元則さんにいらしていただいて、一緒に合奏していただきました。
そして三浦さんとは1月の奈良(橿原市)でのコンサートの打ち合わせ&軽く音合わせ。
遊声と入破など、やります。
入場無料だそうですので、お近くのかたは是非(詳細後日アップ)。

また、2ヶ月振りに父の病院の付き添い。
今回、やや結果がよくなくて落ち込みましたが、それでも一進一退という感じです。
こちらの病院、いい病院です。腎臓病で苦しんでおられるかたはぜひ。
(ですが、病院や先生との相性は合う、合わないがありますので、ご判断はご自身で)。

椎貝クリニック

その他、仕事の打ち合わせも東京滞在中に済ませてきました。

さあ、来年もがんばるぞ

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2015年12月 8日 (火)

あっというまに東京教室



待っておるぞ。


ブログの前の記事を見たら、ちょうど東京から帰ってくる時の内容でした。

もう12月、東京は今年最後のお稽古と久しぶり合奏会。
ただ今新幹線のなかです。

また新しいコンサート情報ですが、お箏の森川浩恵さんにお声がけいただき、竜野市のご自宅のコンサートに参加させていただきます。

2月。

詳細決まりましたら、アップします。

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