工場跡コンサート、無事終了、正倉院展へ。。。
コンサート会場。奈良・工場跡事務室コンサート、無事に終了しました。詳細はfacebookに書きましたが、御来場くださいました皆様、本当にありがとうございました。
翌日は、急ぎ、正倉院展へ。。。
ポスターやチラシにもなっている琵琶の、形のきれいだったこと!装飾はもちろん、もう例えようも無くきれいなのですが、すらりとした全体の形状、バランスが本当にセンス良く、優雅です。
これは、とっても弾きやすそう。今の世の中は「人間工学」などという、計算による学問になってしまっていますが、本来、ひとの身体が心地よいものは、ひとの手と感覚が知っていて、自在に生み出せるのでは、と思うのです。
今はコンピューターがはじき出してくれて、それはそれで成果があがっていると思うのですが。。。
秋からわたしは帝塚山大学の牟田口先生の、正倉院関係の講義を聴講させていただいています。牟田口先生は、正倉院だけでなく、京都、奈良の御物、国宝などや、例えば東大寺法華堂や京都・平等院の修理・修復などなどの「映像の記録」を長年に渡って手がけられています。
最新のハイビジョン技術や4Kの技術によって浮き上がってきたのは、立体的な宝物の顔、だけでなく、そこから浮き上がってくる「確かに、ある時代に生きた人たちの顔」です。
1400年前のものがなぜそこにあるかといえば、誰かが作って、また誰かが守ってきたからそこにある訳であって。。。
連綿とした人間のバトンリレー、人間の鎖が今に繋がっているんです。。。
わたしも奈良に惹かれて、東京から引っ越してきましたが、30数年雅楽に関わることによって、歴史的な貴族社会の文化の端緒にも触れるようになり、歴史が単なる「学問」でなく、自分のアイデンティティに深く関わってきたから、、、と思います。
「リアルなものを、よりリアルに」記録されてきたかたのお話は、やはりものそのものに対する愛着だけではなく、1400年ほど前にそれらを作った人たちの生きた思いやドラマにまで及び、共感することが非常に多いです。
わたしはなぜ、正倉院に惹かれるのか?
単純素朴に、「楽しいから」です。
基本的にモノを作る人が大好きですし、自分も音を奏でたり、作ったりします。
自分の、「本能」です。
雅楽の歴史と関わりがあるから、とか御物だから、とか、そういったことは二の次なんです。。。
修二会もそうですが、「涙が出そうなくらい、懐かしくて、楽しくて、どうしても行きたくなるから」その場に足を運んだり、牟田口先生のご講義にも足を運んだり。
わたし自身にも、音を奏でたり、ものを作ったりする「本能的」な要求があるので、それがどうしても呼応してしまうようです。
ものを通して、1400年前の人たちと、静かに静かに会話できる!
それが自分にとっては正倉院であったり、古い仏像だったりします。
それにしても、、、
正倉院の宝物のいくつかは、デザインが「かわいらしく」、心が和みます。
また、人間技とは思えないくらいの細工の細かさや手間のかけかたを見ていると、
「これ、本当に好きでやっているな、楽しくて楽しくて、ついついココまで作り込んだんだな!」と思います。
一般の人は「作っているひとの執念」みたいなものに帰着させる考えが好き、ですが、ホンモノを作る人たちは、そんなの超えちゃっている。。。
その楽しさが、千年以上も前のものから伝わってきます。
作ったかたがたは「あの世」で、「へー、まだ残っているんだ」と思っていらっしゃるでしょうか?
さて、夜の国立博物館。閉館時間間際がすいている、という思い込みがあり、4時頃行ってみましたら、なんと!土日祝日は、遅い時間の入館者はチケットは安い!というサービスがあり、その人たちの長蛇の列!(土日祝日は7時まで空いているのです)。
このかたがたは5時入場で別の列でしたので、(あの、行列が動かないうちに!)と拝見したいものをまず、さーっと見て、あとは会場を行ったり来たりしながら、イヤフォンガイドをつけて、人ごみのなかを移動。
琵琶と布ものが、素晴らしくきれいでした。
夜の国立博物館も雰囲気がありますね。日中はお抹茶もいただける庭園。お茶室は興福寺にあったお茶室だそうです。
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