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2015年4月 6日 (月)

変わっていくこと、あれこれ。

1985年から故・多忠麿(おおのただまろ)先生のご指導を約10年ほど受けていたのですが、21世紀にはいって10年以上もたちますと、やはりいろいろなことが変わってきています。

各管楽器のトップのことを「音頭」(おんど)と言っていましたが、最近は「主管」(しゅかん)ということが多くなってきたようです。

笛のトップだけを音頭、篳篥と笙は主管ということもあるようです。。。(唐楽曲の笛の独奏の部分を「笛の、音頭の部分」と表現することはよくありますが、、、、「笛の、主管の部分」ですと、納まりがよくない気がします)。

ですが、忠麿先生は「『主管』とは言いません」、とはっきりおっしゃっていたのを覚えています。

ただし、琵琶箏は「主琵琶(おもびわ)」、「主琴(おもごと)」です。

先生が急逝されたのが1994年。

その後、じわじわと主管という言葉を楽部の先生方もお使いになり始め、(おや?)と思っていました。

やがて東儀俊美先生が、最初のご著書で「主管」という言葉をお使いになってから、決定的になったようです。

笙の黒い、竹が立っているお椀のような部分も、昔は匏(ほう)と呼んでいました。
これも確か、多忠麿先生は、「頭」(かしら)とは、言いません、「匏」が正しい言い方、とおっしゃっていた、と記憶しているのですが、最近は「頭」という言い方のほうをよく耳にします。

確かに解りやすいのですよね。

「二の舞をふむ」、「ろれつ(呂律)が回らない」が雅楽由来の言葉であることは、間違いないと思いますが、「野暮」の語源が笙の「也、毛」(や、もう)であるという説、わたしはかなり疑っています。

篳篥の大名人でした、東儀博先生(1922年〜1998年)あたりが、この怪しい説の「出所」ではないかと思っています(笑)。

生前に博先生の生徒さんからも、ご本人からも、この説を伺ったことがありますが、厳しくて威厳のある先生だったにも関わらず、人が真面目に話を伺っていると、冗談だったり、、、真剣な顔で話を伺っていると、最後に大ウソ!だったことがわかり、こちらが赤面しているのを面白そうに、ニヤニヤされていました。

大変、茶目っ気のある先生でした。

笙の、リードがついていない2管が也と毛という竹なのですが、笙を習っている人でさえ、名称を忘れてしまっているような竹の名前です。

それが一般に「やぼ」という言葉に転じて広まり、人口に膾炙することが可能だったかどうか???

それに、也と毛の音が出せない=田舎っぽいという意味になかなかつながりません。

まあ、今はすでに「野暮」という言葉すら死語かも(汗)。

最初にこの説をやはりご著書でとりあげられたのが、おそらく安倍季昌先生です。

その後、東儀秀樹さんが楽部をお辞めになり、「メジャーデビュー」されたあと、盛んにいろいろな場でお話され、あっという間に雅楽の「ネタ」として、広まってしまったようですが。。。

わたしにはどうしても、博先生があの世でぺろっと舌を出しているお顔が浮かんで仕方がないのです(笑)。貴相鳳眼とはこういうお方の顔をいうのか、というぐらいきりりとした顔つきの先生でしたが、ちゃきちゃきの江戸っ子で、小気味良いしゃべり方の先生でした。

今ご存命でしたら100歳に近いお年ですが、そんな昔でも洋楽器(クラリネット)も名人級の腕だったようで、ニューヨークフィルの連中の前で演奏して、あいつらをびっくりさせた、、、、なんてお話を楽しそうにしていらっしゃいました。

晩年、地方のとある会でご一緒させていただくことがありましたが、ご高齢であったにも関わらず、大勢の初心者がめちゃくちゃに音を出しているその騒音のなかで、鋭い音が飛んできて、驚きました。

博先生の指導を受けておられたにも関わらず、まったく違う路線の篳篥だったのが、東儀兼彦先生でした。

博先生の篳篥はどちらかというと、ある意味泥臭く、古いタイプの篳篥でしたが、兼彦先生は古式の良さのなかで、モダンな洗練を雅楽に与えられたと思います。

わたしはずっとか兼彦先生の篳篥を生で聴いて、「これが雅楽」と思っていたので、初めて博先生の篳篥を録音で聴いたときに、(何となく、田舎っぽいなあ。。。)と思ってしまったことがありました。

お酒でいえば清酒とどぶろく(笑)。

細やかな小節(こぶし)がついていて、魅力的なのです。

ですが、兼彦先生の篳篥の高弟のお一人が、「博先生の音はすごい」とおっしゃっているのをきいて、(そうなんだ〜)と思いました。

話があちこちに飛んでしまいましたが、いろいろと変わってくることは、多々あるものだな、と思います。

これが100年、200年と経つと、どう変わっていくのでしょうね。

*参考までに wiki で野暮の語源。
http://ja.wikipedia.org/wiki/野暮

wikiはあてにならない情報も多いのですが、やはり、也と毛のことについては触れていませんね。。。


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