調律あれこれ2
調律に関していろいろと書いていますが、実はわたし自身も、習いたては本当に、出来がよくなかったと思います。実際、自分でできるようになれるのか、半信半疑でしたし。
一番最初は多忠麿先生にご指導をいただきましたが、そのときには残念ながら道具がそろっていませんでした。
真夏の、先生のお時間があるときに、わたしの姉弟子と、オーストラリア人で東京芸大の留学生、わたしと3人で、まだ当時は冷房がなかった宮内庁楽部で、汗をふきながら2日間、ご指導を受けました。
なんでも1度で、ぴたりと覚えてしまう、超優秀な姉弟子に比べ、わたしはとろとろしていて、先生も、(この子には、無理かな・・・)と思われたと思います。
そしてその後、道具をなんとか揃え、自分の管の調律を始めてから、、、が、大変でした。
最初になんとか仕上げてみて、お稽古に持っていたときには、「何か、変な音が鳴っているよ!」と怒られました。
当時はピタゴラス音律でピッチがとれるチューナーなどなかったですしね。
たいていの人が、「平均律から、何ヘルツずらすか」みたいなことをしていました。
今、わたしは知っていることは全てお教えするようにしていますが、当時は、知っている人に伺っても、なかなか教えてくれないんです。
演奏でも舞台上のお作法も、なんでもそうでした。
とても厳しい世界で、自分で「盗む」ようにして覚えていかないといけないんです。
一番苦労したのは、青石です。
すりおろすための「サワリがね」の器がなかなか手にはいらず、中国の銅鑼ですりおろしていたのですが、硬質の銅鑼だったようで、何度、どう塗っても、青石の粉末がすぐに飛んでしまうのです。
何がどう悪いのかも、まったくわかりませんでした。
先生が、とうとう見るにみかねて、「あーあ、もう。。。ほら、貸しなさい」とおっしゃってくださったのですが。。。
わたしは、そのときに言った自分の一言を、その後どれだけ後悔したことか。。。
あのコワい、忠麿先生に、「先生、もう少し、あと少しだけ、自分でやらせてください!」と言ってしまったのです。
先生は、一瞬、ぽかんとされ、ちらっと(生意気だな)という表情も見せられましたが、にやっと笑って楽器を戻してくださいました。
そこからが苦しみと後悔の連続、でした。
ただ、長い間後悔はしたものの、あのあと、先生に頼るクセがついていたら、おそらく調律はできるようにならなかったと思うのです。
時間は何年もかかりましたが。
その意味では、あのとき自分が言ったことを自分で誉めてもいいと思っています(笑)。
とはいえ、当然ながら調律のコンディションが実際の舞台での演奏のほうにも響いてきましたから、もう大変な思いをしていました。
それこそ、ノイローゼになりそう。。。なくらいに。
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