過去の、記憶の再生
「録音」というものは、なかなかやっかいなもので。
自分が生で体験してきた音は、どんなに録音の状態が悪くても、再生装置がよくなくても、再生されているときに、「自分が体験したときの感じ」をそのまま再生してしまう傾向があるようです。
例えば、わたしが20代のときにお世話になっていた、多忠麿(おおの ただまろ)先生の唱歌の録音を聴くと、どんなによくない音質であっても、わたしの頭のなかでは、当時の先生の歌そのままに再生されてしまう、ということです。
つまり、多先生をご存知ないかたがたにとって、その録音がどのように聴こえているのか、、、わからないところもあります。
紫絃会の演奏を聴いても、10名近くの先生がすでにこの世にいらっしゃらない会ながら、その大半の先生方の演奏をリアルタイムで聴き(さすがに「紫絃会」そのものがあったときは、まだ雅楽を始めていませんよ、笑)、またおそばで演奏させていただいていたので、余計によく聴こえてしまうのかもしれません。
まあ、でも、結局演奏そのものが凄いと、録音状態が優れていなくても伝わってくるものは必ずあります。
ただ、「昔はよかった〜」を繰り返す年寄りにはなりたくないので(笑)、「今」という時代のなかで、どのように笙を演奏していくか、常に求めていきたいと思っています。
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