あほな「大人」が作った世界にはまる必要はない
「練習」しないで、できてしまう人というのは、実は結構、たくさんいるような気がする
でも「大人」は「練習」が尊いと信じている
練習を重ね、つらい思いをして、「試練」を乗り越えて、ようやくできるようになるのが「尊い」と。
。。。あほな。
モーツアルトとかバッハが必死で「練習」したり、、、とか和声学の課題をたくさん解いて、あんな曲を作ったと思います?
笙をお教えしていると、なんだかほいほい、進んでしまう人がいる
わたしが歌うのとまったく同じように唱歌を歌い、手移りもほいほいと覚えてしまう
また、忙しくても、体調が優れなくても
お稽古にはやってくる
「練習」?
練習はしてますよ。
でも、こういう人たちにとって、練習は練習ではないんです。
おなかがすいたら、ご飯を食べるような感じ。
2時間とか3時間とか、別に平気で練習してます。。。
これがプロになってくると6時間とか7時間とか。。。
こういう人たちの進歩を止めてしまうのが「大人」な人たち。
「そんな甘いものじゃない」
「緊張感がない」
「なにをやってる」
とか。
要は「自主性」なんです。
先生の、「顔色」を伺う訓練をさせていることに気がつかない指導者、多いです
あほかーーー!!!!
それで、持って生まれた音楽性とか能力とか、のばせるの?
わたしも一時期は「練習」(というか、「訓練」?)至上主義にハマっていたことがあります。
それはそれは苦しいですよ、ええ。
気分的には「美しい」感じもしますが。
あまり実にならなかった
もちろんお稽古で怒らないと集中できない人もいます
でも、その人が持っている「本質」みたいなものが、自然に流れ出てくるようなお稽古を心がけていきたいです
できない人は、できない、でいいのです
笙や雅楽にまつわる文化とかがとっても好きで、触れていたい、という人もたくさんいらっしゃいます
たとえ楽器がそれほど上手にならなくてもーーー
雰囲気を愉しんでいきたい、それはそれですごくいいのです
その人の「自主性」(自然な要求)が一番大切だと思っています
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