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2014年1月16日 (木)

あほな「大人」が作った世界にはまる必要はない

「練習」しないで、できてしまう人というのは、実は結構、たくさんいるような気がする

でも「大人」は「練習」が尊いと信じている

練習を重ね、つらい思いをして、「試練」を乗り越えて、ようやくできるようになるのが「尊い」と。

。。。あほな。

モーツアルトとかバッハが必死で「練習」したり、、、とか和声学の課題をたくさん解いて、あんな曲を作ったと思います?


笙をお教えしていると、なんだかほいほい、進んでしまう人がいる

わたしが歌うのとまったく同じように唱歌を歌い、手移りもほいほいと覚えてしまう

また、忙しくても、体調が優れなくても

お稽古にはやってくる


「練習」?

練習はしてますよ。

でも、こういう人たちにとって、練習は練習ではないんです。


おなかがすいたら、ご飯を食べるような感じ。

2時間とか3時間とか、別に平気で練習してます。。。

これがプロになってくると6時間とか7時間とか。。。


こういう人たちの進歩を止めてしまうのが「大人」な人たち。

「そんな甘いものじゃない」
「緊張感がない」
「なにをやってる」

とか。

要は「自主性」なんです。

先生の、「顔色」を伺う訓練をさせていることに気がつかない指導者、多いです

あほかーーー!!!!


それで、持って生まれた音楽性とか能力とか、のばせるの?


わたしも一時期は「練習」(というか、「訓練」?)至上主義にハマっていたことがあります。

それはそれは苦しいですよ、ええ。

気分的には「美しい」感じもしますが。

あまり実にならなかった


もちろんお稽古で怒らないと集中できない人もいます

でも、その人が持っている「本質」みたいなものが、自然に流れ出てくるようなお稽古を心がけていきたいです

できない人は、できない、でいいのです

笙や雅楽にまつわる文化とかがとっても好きで、触れていたい、という人もたくさんいらっしゃいます

たとえ楽器がそれほど上手にならなくてもーーー

雰囲気を愉しんでいきたい、それはそれですごくいいのです


その人の「自主性」(自然な要求)が一番大切だと思っています


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