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2013年8月18日 (日)

音楽に関して

音楽に関して

偏見がない人たちと仕事がしたい

未だに古典やクラシック音楽は高尚で

ロックやポップスは低劣だと思っている人たちが多い

西洋音楽至上主義の人たちも、相変わらずいる

さらに、日本の楽器で洋楽の音楽を奏でると、「迎合だ」とか。

ところが、そういう人たちは雅楽器で現代音楽を奏でるときだけ、「すばらしい」という

そうして、2度と聴かないのですけれどね(笑)。

考えてみると、篳篥の大名人だった東儀博先生(故人)、明治時代の芸風を伝える最後の楽師といわれた多忠麿先生(故人)、そして現在もご活躍の芝祐靖先生、お三方とも洋楽器の演奏でも、プロとして通用するような腕前をお持ちの先生方。

博先生は、アメリカでクラリネットを吹いても、評価されたそうだし(まだ、「洋行」が珍しかった時代のこと。ご本人から直接伺ったお話)、忠麿先生はトランペットで芸大をご卒業後、N響の首席で吹かれていたこともあるそう。
芝先生はフルートも達人芸。

それで、あれだけ「まったり」した古典の演奏をされるのだから、、、

純粋な「音楽の魂」には、もはや、東洋も西洋もないのではないか、と思う

洋楽っぽい雅楽演奏というのも確かにありますが

それは芸が拙いだけだと思う

ある能力の臨界を超えたときから、

音楽家の能力は自由になる

東洋、西洋の束縛から自由になって

表現だけが、そこにある

英語で話しても、日本語で話しても、伝えたいことがある人の話には、人を揺り動かす力がある、そういうことのような気がする

時の、おそらく最下層の身分だった、今様の名手、「乙前」というおばあさんに弟子入りしてしまった、後白河法皇というかたを凄い、と思う

本物の音楽家、ミュージシャンの魂を持ったかただったと思う

「癒しの音楽」という言葉が流行ったりもしましたが

音楽は、ヘヴィメタでも演歌でも、その音を本当に愛して、奏で、歌い、また聴く人たちにとって、すべて「癒し」なのです。。。(もちろん、「好み」ということはありますが)

音楽は、「教養」のひとつではなく

魂の、栄養です。。。


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