天野社の舞楽曼荼羅供(国立劇場)
これはもう、お勧めです!
雅楽=神道の音楽、と勘違いされているかたが非常に多いのですが、もともと、今の唐楽、高麗楽の元になったものは、「仏教の伝来」とともに日本に入ってきた歌舞と音楽なのです。。。
高野山といえば、真言仏教の聖地、なのですが、その山の鎮守さまである丹生都比売神社、この神社さんで、高野山僧侶が出仕して(距離的にはかなり遠いのです)、神仏習合の法会が行われていたのです・・・つい、200年ほど前までは。
そう、明治維新で崩壊してしまったのですよね、こういった伝統行事が。。。
それはさておき、当時宮中の雅楽を司っていた三方楽所(京都、奈良、大阪の伶人)が法要のために出仕して舞楽を行っていたというのは、非常に興味深い話です。
壮大な規模の曼荼羅供養にご奉仕することで、宮中以外で三方楽所が集うことになり、お互いが技量を磨き合うきっかけにもなっていたことでしょう。
(とは、やや雅楽寄りな見方、ではありますが。。。)
今回は天王寺雅亮会、南都楽所、十二音会が舞楽、奏楽を担当されるようです。
この3団体が同じ舞台に立つこともまず、ないでしょうから、その意味でも、貴重な公演となるはずです。
監修は東京学芸大学の准教授、遠藤徹先生。
この天野社の曼荼羅供のことは、実は丹生都比売神社も、高野山側も、遠藤先生の研究が始まるまで、まったくご存知ありませんでした!
遠藤先生のグループの、長年の研究成果によって、徐々に丹生都比売神社側も、高野山側も、その歴史的な価値や意義に気づき、今回の公演の運びとなったようです。
(書籍としてはすでに成果は結実しており、「天野社舞楽曼荼羅供養」というタイトルで岩田書院から出版されています)。
遠藤先生のご研究は、ひとつひとつの記述に対する検証が、非常に緻密です。
現地にも何度も足を運ばれ、建物などの寸法、距離の実測なども行っておられるくらいなので(すごい!)、書物・記録の上だけからの推測による再現、ではありません。
当時の記録に則って、今回の公演(プログラムだて、といいますか。。。)は監修されているようです。「正確な再現」を試みられるようですよ。
これまでの国立劇場ではほとんどなかったことです(大体、新しい「創作」が加味される演出が多かった)。
当時の「時代の香り」を国立劇場で体験できるかもしれません。
国立劇場で行われた声明公演のなかでも、おそらく最大規模、かつ学術的意義も濃い公演になるのでは、、、、と、思います。。。
ある意味では「マニアックな」公演ではあるかと思いますが、ここ30年ほどで、要望の高い、目と耳の肥えた聴衆も、育ってきていると思います。
もちろん、現地で、その法要が再現されるのが、一番望ましいのかもしれませんが、舞台では舞台なりのよさ(全体が見える、普段は見えないような角度から見える、音響が当然よい、などなど)があります。
「ゆくゆくは現地で再興」、のおうわさも聞いていますので、その「予習」のためにも。
残席わずかなようですが、再度、お勧めいたします。。。
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