音楽に、できること
なんて、あまり考えないほうがいいですね(笑)。
震災直後、やっぱり悩みました。
原発は爆発するし、自分は音楽なんかやっていていいのか、、、
特に、原発のことは、高校生のときにすでに実体を知り(当時確か原発はまだ20基)、ずっと気にはかけていましたから。
それでも、「安全神話」で自分をなだめ、数十年。でも、やはり事故は起って当然のもの、だったのですね。
高校生のときに、高橋悠治さんの政治的な活動に賛同していたので、やはり同じようなことで真剣に悩みました。(ああ、懐かしい水牛楽団の音楽教室〜!)
人が大勢亡くなって、大変な想いをしているのに、日本が大きく変わろとしているのに、音楽なんか奏でていていいの?
このまま雅楽を続けていていいの?なんて(人間、同じことを繰り返しますね。今思うと高校生のときの悩みとまったく同じ)。
(ただ、震災後しばらくたって、プロアマ問わず、いろいろな音楽家や俳優や役者さんが同じような思いにとらわれていたと知り、少しほっとしました)。
それでも、震災数日後、youtubeなどから海外のミュージシャン、国内のミュージシャンが、応援のために様々な映像や音を届けてくれて、随分となぐさめられました。
基本的に、音楽で「何か」をしようとするべきではないと思うのです。
人をなぐさめるために曲を作ったりすると、どういう訳からインスピレーションが、降りてこないのです。
自分のハートから、自然に溢れるものを音にすると、それに人がなぐさめられる、ということはあっても。。。。
音楽ってやはりとても不思議なエネルギーがあって、そういったエネルギーがどこからともなくやってくるのだったら、やはり音にして、鳴らして、歌っていきたいと思います。
それが、結果として、誰かの心をなぐさめたり、勇気を与えたり、喜んでもらえたりすればいいなあ、、、、と思い始めている毎日です。
自分の喜びが、みんなの喜び
鵜殿のことでいろいろと政治的なことに関わらざるを得なくなりましたが、政治だけに関わっていても、おそらく鵜殿のようなところは守れないのでは、と思い始めています。
鵜殿のような楽しい、素敵なところがあって、今、雅楽があるっていうことがすごいありがたいこと、なんですよ〜、ということを広めていけたら、と思います。
政治家が高速道路を作ると決めたときに、「あそこには、雅楽の篳篥で使うヨシが生えていますから。あそこだけは外しましょう!」というぐらいに雅楽に対しての認識が政治家にもあれば、このようなことにはならなかったはず、なのです。
前にもちょっと書きましたが、誰も皇居の真上に、高速道路を通そう、などと、思いませんよね?伊勢神宮の杜の上とか。
それぐらい、敬意が払われてもいい土地だった。。。敬意というよりは、感謝の想い、でしょうか。これまで、そういった気持ちをわたしたちは忘れていた。。。
自分自身への自戒と自重の気持ちも込めて、鵜殿とか、雅楽のありがたさとか(そして楽しさとか)、来年は伝えていけたらいいなあ。。。と思っています
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