法要でのスピーカーに想うこと
前からちょっと書いておきたいと思っていたので。。。
最近は奈良のお寺さんでも、法要の際にスピーカーを用いているところが多くなりました。
唐招提寺でも、どーんと大きなスピーカーが。
このときは、一般の参拝者は中に入れなかったので、外で聴聞する人たちのためだったのだとは思います。
そして、先日は東大寺大仏殿での法要でも。。。
そして、使っているスピーカーはどこもBOSE(ボーズ)。
しゃれ?
いえいえ、、、
スピーカーのメーカーはさておいて。
まあ、例えば大仏殿となると、巨大な空間ですから、いくら声が通るお坊様でも、限界があります。
ただ、なーんとなく、(届かないなら届かないで、いいのではないか)、と、思ってしまうのです。
ご本堂は劇場ではないので、自然な音の広がりで、届くところまで届けば、逆にその空間がいかに巨大であるか、ということが伝わります。それで、いいのではないかしら。。。と思うのです。
あの空間で、音の自然な響きを味わえないのは、すごくもったいない。
木造建築が持っている柔らかいようで硬質な音の反響とか広がりとか。
それに、ご本人がいらっしゃらない、あらぬ方向から、お声が降ってくるというのは、、、
なんとも、、、BOSEのスピーカーが喋っているようで。。。
びっくりです。
有り難い声明が聴こえてくるのですから、有り難がるべきなのか。。。
ほのぐらいなかで、執り行われる祭典や法要に対して、暗いからといって、ライトをぎらぎらと照らしてしまう発想と同じではないかと、考えております。。。
「伝承文化」カテゴリの記事
- 今年は様々な行事が復活するといいですね。(2022.04.15)
- プラネタリーライブにかける想い(2022.04.10)
- 春日の杜から・・・(2020.04.25)
- 休岡八幡宮御遷座祭 (2020.02.22)
- 今日は多忠麿先生のご命日で(2017.12.19)
コメント