薬師寺さん(西岡棟梁、塔について、あれこれ)
わたしのブログの左側のカラム(列)の、booksの欄に、「木に学べ」という本がありますが。
20代、30代と影響を受け、真剣に読みまくった本です。
西岡常一棟梁。法隆寺の宮大工。1995年に亡くなられています。
「宮大工」という、今はもうなくなってしまいそうなお仕事の世界ですが、その世界で「鬼」と呼ばれていたぐらいに、古い塔やお堂の修理に生涯をかけた人です。
「宮大工は、民家を建ててはいけない、けがれるから」ということで、大工仕事では宮大工以外の仕事は、一切しなかったそうです。
つまり、、、古い塔の修復などがない限り、仕事がない。。。
家族そろっての、極貧の生活も経験されたそうです。
法隆寺を建てた人は、1000年以上の樹齢を持つヒノキで塔を組めば、1000年以上持つ、ということを知っていたのではないか、とか、建立に関わった大工の全員が、実は全てを把握している棟梁並みの技量を持っていて、塔を作ったのではないか、とか、、、
なぜか、雅楽の演奏と、非常に関係が深いように、思えてならないのですが。
雅楽の合奏も、指揮者がいません。
一応、鞨鼓が指揮者の役割を果たすといわれていますが、実は全員が指揮者でもあるように思えます。まあ、今の世の中の雅楽では、全員が「楽長レベル」の団体なんて、、、あり得ないと思いますが(笑)。
今の世の事情では、どうしたって、どこの団体でも、経験の浅い人も、メンバーに入りますし。
さて、今回の薬師寺東塔の修復ですが、わたしはてっきり、昔風に木でやぐらを組んで、塔を解体したりするのかと思っていたので、拙ブログ前の記事の写真のような、「いかにも工事現場風」の風景に驚きました。
塔といえば、もうひとり、幸田文さんのことが頭をよぎります。
お寺の名前を失念しましたが、やはりどこかの塔の再建のために、全力を尽くされています。
資金難で中断していた建設のために講演会などで走り回り、再建が始まったら始まったで、東京から奈良に通い詰めたり。
その、塔の再建のときのエピソードですが、とび職の職人さんが、組まれた足場から「落ちた」のだそうです。だだっぴろい奈良の風景のなかで、お寺の塔を見ていると、近代的な巨大ビルを見慣れた目には、それほど大きく見えないのですが、今日のような「足場」が組まれていると、その目もくらむような高さに驚きます。
その、何十メートルの高さから落ちた、とび職の若い衆は、怪我ひとつ、しなかったそうです。
足を踏み外した瞬間に(あ、落ちた)と思い、足場の木を、千鳥掛けのように、掴みながら、落ちていったのだそうです。
しっかり掴めればそのままぶらさがるつもりだったのでしょうが、結果的に落ちるスピードが減速され、地面に落ちたときには無事だったのです。この話は、今、内容を思い出しながら書いていても、なんだかわくわく、どきどきします。。。(幸田文さんの、原文ではもっと鮮やかに、端的に書いておられます〜)。
奈良では、名も無い普通のとび職さん、だったのでしょうけれども、超人的な感覚です。
そんな話を思い出しながら、ふーん、今回の再建は、どんな感じで行われるのかな、西岡さんの唯一のお弟子さんが、やはり棟梁でされるんだろうな、、、とかいろいろ思いながら、
今日の、東塔の不思議な光景を眺めておりました。。。
ちなみに、「法隆寺を支えた木」というご本ですが、恥ずかしながら、多忠麿先生にプレゼントさせていただいたことがあります(20代の、若気のいたり。。。ああ、生意気。ああ、恥ずかしい)。先生からは「秋の夜長の楽しみにゆっくり読みたい」といったような、御礼のお手紙を頂戴しましたが。。。
それほど、西岡棟梁のものの考え方、生き方に深く影響を受けていました。
わたしの「雅楽観」にも、多大な影響を与えています。。。
それにしても、、、今、こうして奈良にいることは、やっぱり必然的なような気が、、、西岡さんの本のことなどを思い返してみて、改めてしているところです。。。
(明日、東京に出るので、準備で時間がないのですが。。。どうしても書いておきたかったので、乱文ご容赦!)
「essay」カテゴリの記事
- 盟友の死を悼むーーー佐々木冬彦さんの訃報に接して①(2020.12.16)
- めぐり(2013.11.13)
- 近鉄線の不思議と楽しさ(2013.10.31)
コメント