関本さんという名人がいました。
大阪楽所の講習会や合奏会に参加させていただいています。
講習会は2日間。1日5時間ほど。びっちり。
東京にいると、つい、どうしても先生方のお稽古は「当たり前」に思えてしまいますが、こちらのかたがたは2日間ですべてを覚えないといけません。
熱心さが、違ってきます。
関西にぽんっと引っ越してきて、ぽんと入ってしまった大阪楽所は、ご縁がなかった訳ではなく。。。
と、いいますか、大阪楽所は東京楽所の姉妹団体なので、昔、何度か演奏をご一緒させていただいていたかたが、何人もいらっしゃいました。
先日は笙の講習会で、嬉しそうに声をかけてくださったかたが。
「あーっ、大阪メルパルクホールのこけら落としと、静岡でご一緒した???あの時の???」
もう20年以上前の話です。。。
それでも、すーっと記憶が、よみがえってきました!写真のように、すーっと当時の映像が見えてくるのですから、不思議なものです。
ところで、「関本明正さん」という、楽人さんをご存知のかたも少なくなってきたと思います。
大阪楽所の公演で「鞨鼓の名演奏で」、芸術選奨(文部科学大臣賞)を受賞されたかたです。
わたしたちも当時、びっくりしたものです。
龍笛でも、篳篥でも、笙でもなく。。。
「鞨鼓」で、です。
(どんな人?どんな演奏だったのかな〜?)と思いました。
国立劇場で1度(もしかしたら、2度? 確か三ノ鼓で、ものすごい上手なかたとご一緒したた記憶もあり。。。あれも関本さんだったのか・・・?)、関本さんとご一緒したことがあります。
左方楽人、右方楽人と分かれての演奏で、確かわたしは右方側の笙、関本さんは左方側の鞨鼓で、同じグループではなかったのですが、とても生き生きと打っていらっしゃったのを覚えています。
反対側の楽人の列にいたので、よく見えたんですね。
残念なことにわたしは当時まだまだ、「駆け出し」でしかも勉強不足。
関本さんの鞨鼓がどれくらいすごいのか、「本当には」わかっていなかったと思います。
ただ、楽屋で、多忠麿先生が「あのおじいさんはね、ぼくよりも鞨鼓が上手いんだよ」とおっしゃられて、楽屋にいた一同で「えーっ!」と驚いたのは、よく覚えています(忠麿先生も鞨鼓の名手でしたから)。
先生はそうそう軽々しく人をほめたりはなさらなかったので、(あのおじいさん、本当にすごいんだ。。。。)と、皆、ぞーっとするような畏怖の念を感じました。
と、いいますかぞくぞくするような尊敬の念。
左方楽人の側にいた篳篥のベテランのIさんが、リハが終わったあと、興奮気味で「あのおじいさんの鞨鼓を聴いていると、篳篥をどこで押したらいいのか、わかるよ。すごい!」と言っていったのも覚えています。
でも、演奏会が終わって、すれ違ってみると、関本さんはとても普通の雰囲気の、小さなおじいさんでした。
関西にきてみて、関本さんのお話をすると、皆さんのお顔がほころびます。
ああ、あの人は本当にすごかったよ。
なんでも、できた。なにやっても上手だった。
すごい人だった。
練習も1時間以上前には来て、ずっと吹いとった。
最後の大阪楽所の演奏会は、舞台に立てなくて。
客席にいて、泣いてはったよ。
遠い記憶のなかの関本さんが、すっと濃くなったような気がしました。
関本さんは残念ながらすでにこの世にはいらっしゃいませんが。
あの頃の、あの雅楽の空気の濃さは本当に独特でした。
今は、もう「あの頃」の名人たちは次々と「この世」の舞台さえも降りられてしまいましたが、往時の凄さを実際に体験している人たちに、またこうして出会えるのは、本当に嬉しいことです。
関西の雅楽界の空気は、濃いです。。。
同じ空気を吸うことができて、毎回、興奮、の日々です。
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