奈良での生活も。。。
5月17日に伊藤は奈良に引っ越して来ました。
8月も後半にはいり、奈良での生活も3ヶ月を過ぎました。
ですが、ひと月に10日から15日間ぐらいは東京にいるので、実質は2ヶ月、でしょうか。
今日は平城京跡、いけませんでした。仕事の連絡のやり取りが終わらず。。。
昨年の10月、宮内庁楽部の演奏会が平城京跡であり、東京から馳せ参じました。
当時、最寄り駅がよくわからなかったわたしは、大和西大寺の駅から歩いていきました。
奈良ファミリーという近鉄のデパートとイオンが入っている大きなデパートがあって、(へ〜、奈良にもこんなところがあるんだ。。。)と思ったのを覚えています。
すみません、いつもほとんど、東大寺の二月堂にしか行かなかったもので(◎_◎;)
今、わたしはそのデパートによく買い物に行き、昨年、おそらくその前を通ったはずの歯医者さんで、昨日は治療を受けました。
平城京跡の演奏会は、感動しましたが、やはりPAの状況と舞台の設定がいまひとつで、興行主の意図やいかに、、、と思いました。
楽師の先生方も、滞在先は奈良のホテルではなく、大阪からの移動だったそうで、演奏者のコンディションへの気遣いがあれば、やはり、奈良のホテルを早々に押さえるべきでは、と考えます。
昨年10月10日の公演直前の舞台の写真。せっかくま後ろにある太極殿は、このとおり、まったく見えませんでした。
やや不満が残りましたが、平城京の壮大な広さ、この歴史的な場で雅楽が聴け、舞が見られたことの喜び、
そして、演奏会が終わったあと、遠くに見える近鉄線の小さな列車が、細い光の列のように見えたりして。。。(古代の、平城京を作った人たちがご覧になったら、あれは白い龍に見えるんじゃないだろうか。。。)と、思い、ひとりしんみりと感動しました。多分、昔の人が知りえなかった、美しいもの。。。それを今、享受できることの喜び。。。
光が地平線をすーっと走り抜けていく様子。
真ん中が朱雀門ですよ!
太極殿側から撮影。
いかに広いか、おわかりでしょうか?
そして、この電車は今、毎日、西の京のわたしの住まいのすぐそばをとことこと走っております。。。
何度考えても不思議です。。。
平城京の都があったころから1300年後に、わたしたちは美し国、日本の大地を汚してしまう愚行をおかしてしまいました。
大地だけでなく、わたしたちたは今ある全生命のDNAも、その未来も、おそらく汚しています。
「経済」というものと、引き換えに。
なんと恐ろしい、、、愚かしい、、、と祖先のかたがたは嘆かれているのでは、、、と、ずっと感じていました。
「そこはかとない」後ろめたさ。
後悔。
何ができたんだろう。
何がいけなかったんだろう。。。
何をしなければいけなかったんだろう。
でも、奈良の大らかさと1300年という歴史の「確かさ」は、わたしたちの愚行をも、暖かに包み込んでくれているような気がします。
今は平和な奈良の地も、政変という名の大虐殺にゆれたことがあります。
興福寺、東大寺、すべてが多くの命とともに焼け落ちました。
それでも、、、今、こうして穏やかな都、そして雅楽が残っているのです。
奈良に来てから、ゆるかに、人間の愚行に対する罪悪感から、少しずつ解放されてきたようにも思えます。
奈良は、老成した地、年老いたおじいさんおばあさんが、「よしよし、疲れたよね」となぐさめてくれるような地です。古い物を潰して闇雲に発展していくことではなく、古い物をひたすら大切にして、貧しさにものんびりと耐えてきた、辛抱強い土地です。
わたしたちは、愚行を繰り返しながらも、明るく、豊かに、生きていくことができるのです。。。今をしっかり生きることが、過去に生きた皆様と、未来を背負って生きていくわたしたち、未来の生まれてくる人たちへのエールにつながると信じています。
夕暮れの大太皷と大鉦皷。
これから始まる演奏会への期待感を持って撮った一枚。。。だんだんと「自然の照明」が落ちてくる効果は最高でした。。。
さて、Project Etenraku、がんばろう。
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