お互いを尊重して
雅楽は、「ストライクゾーンが広い」んです。
「合わせる一点」が非常に厳密である洋楽と比べて(だから指揮者が必要)、自由度が高い。
個人個人が高い力量で演奏して合わせていくと、すばらしく生き生きとした合奏となります。
ただ、「ここだけは合わせなければいけない」というところは、厳然とあります。
それがわからない人のほうが圧倒的に多いようです。
雅楽が、「ただぐずぐずと遅くて、何をやっているのかわからない音楽」のように聞こえてしまうのは、そのためです。
また、最近は、雅楽も「合わせやすいところで、ぴたぴたと合わせてしまう」傾向にもあります。
合わせやすくするために、篳篥、笛、笙のそれぞれが、「拍子を妙に強調して吹いてしまう」とか。
そろうことはそろいますが、妙にデジタルで、つまらない演奏となります。
多忠麿先生が、よく、「引っぱり上手、引っ張られ上手になりなさい」とおっしゃっていたのが、今、本当によくわかります。
自由度の高い雅楽の演奏、お互いを尊重して、譲り、譲られながら高貴に進んでいく雅楽の合奏は、上質なフリージャズにも通じるところがあります。
フリージャズのセッションも、知らない人は「むちゃくちゃ、自由勝手に演奏している」と思いがちですが、あれも個々人がものすごい基礎練習を積んでいるから、面白いものができるんです。。。(もちろん、崩壊することも、多々ありますが、笑)。
そんな合奏を夢見つつ、研鑽の日々。
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