国立劇場 蘇合香(3) なぜ音響にこだわるのか?
なぜ音響に関して、こうもこだわるのかといいますと。。。
ホールでの雅楽の聴こえ方によって、おそらく楽器の演奏法や、楽器の製作に対するスタンスそのものが、今後、変わってきてしまうだろうから、、、です。。。
笙の音本来の音、というものがあります。
楽部の笙は、弱い、という人がいらっしゃいますが、笙本来の音、と思います。
(実際のところ、ぜんぜん弱くないです)。
ピアノという楽器も、ここ2世紀ほどで、ひたすら大音量化をたどって来た楽器です。
ショパンが愛用していたピアノでは、プレイエル社のピアノが有名で、貴族のサロンで、優雅かつ繊細な音を奏でていました。
ショパンと同時代の作曲家・ピアニストでフランツ・リストがいますが、リストはエラール社のピアノを愛用していたようです。「超絶技巧」をコンサートホールで派手に披露するタイプのリストの曲には、大音量がでて、反応がよく、軽く鳴るピアノがぴったりだったようです。
その後、コンサートホールが巨大化するにつれて、ピアノもさらに大型化。
雅楽を始め、和楽器類も、今、同じ路を辿ろうとしているように思えます。
笙の音も、ただただ「音量が出ればいい」という観点から楽器を作ろうとする動きもあるようです。でも、音量や反応の良さで、失われていく性質があるのです。。。
例えば、煤竹、というのは枯れきった、いわば「古材」です。
そして枯れきった素材にしか出せない、柔らかい、優しい音がします。
煮竹は割れやすい、という欠点がありますが、煮竹でもいい音がしている楽器は、あります。ともに合竹の音が柔らかく、まとまって聴こえます。
黒檀の笙、というものがあります。
黒檀で、竹の部分をまねて細工をして、組んである楽器です。
洋楽器とのコラボレーションなどでは非常にいいと思いますが、古典では、やはり異質な音として響くと思います。
「耳」はわがままです。
今回の公演で、おそらく「笙が弱い」と感じた人は多いと思います。ですがそれは、前の記事に書いた通り、ホールの音響によることが大きいのです。
そういった要求に答えるべく、笙も大音量で演奏しよう、と、つい頑張ってしまいがちですが。。。
多忠麿先生にも「うんじゃ、うんじゃ(笙の息の張り方)ばかりいう笙は、よろしくない」というご注意を受けたことがあり、忠輝先生は、忠麿先生以上に、息の張りに関しては、ご注意が細かいです。。。
笙の製作者にもそういったことが(大音量化が)求められていくかもしれませんが。。。
PA(音響)の技術によって、そういったことが(繊細な古典の音色を保ちながら、合奏での笙が、沈まないように)、カバーできると思うのです。。。
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