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2011年3月21日 (月)

本日の越殿楽

準備はしていましたが、メールなどを確認していたら、もう5時54分?!

笙を暖めるには、時間が足らなかったので、とりあえず6時からは唱歌でスタート。
続いて、篳篥の唱歌を歌い、ようやく楽器が暖まったので、吹奏しました。

まあ、こんな日もあります。。。
昨日、篳篥のかたからもメールをいただきました。
ひろがる合奏の輪♪

今日は原発から煙が出ていたそうです。

まだまだ予断はできません。

原発君、お疲れさまでした。
今までありがとう。
お役目を静かに終えてください。。。


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コメント

鉦鼓の音は

 チン、チチンという鉦鼓の音は、本当に小さなもので、隣の部屋にいても聞こえないぐらいではないかと思います。

 でも、気をつけて唱歌を歌いながら、丁寧に演奏をしていますと、鉦鼓の対しての感覚なのですが、何か自分の中で変わってきたものがあるように思えてきました。

 言葉で言い表すと思いと違いそうなのですが、とても大切なものがあると感じます。

 

投稿: 鉦鼓 | 2011年3月22日 (火) 00:25

鉦鼓さま、

奏楽のご協力に加えて、丁寧なコメント、いつもありがとうございます。

>鉦鼓の音は、本当に小さなもので、隣の部屋にいても聞こえないぐらいではないかと思います。

<音量はありませんが、響きが鮮明なので、合奏にぴりっとした輝きを与えてくれる、重要な楽器ですよね。

>気をつけて唱歌を歌いながら、丁寧に演奏をしていますと、鉦鼓の対しての感覚なのですが、何か自分の中で変わってきたものがあるように思えてきました。

<こういう状況下で奏楽をすることは、また特別な意味を持つように思います。

音が、気持ちや場を支えてくれているようにも思い、「調子」がその場を整えるという意味があるということとか、改めて体験しています(おっしゃるとおり、言葉にするとなんとも陳腐ですが)。。。

この状況下で演奏する越殿楽は、生涯、忘れられなくなると思います。

本日も、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: 伊藤えり | 2011年3月22日 (火) 08:00

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