(続き)
•••また、できるだけ演奏現場に近い響きを求め、左右の対称音、臨場感、残響、木魂などにも気をくばった。私自身、監修および演奏者として、生涯のライフワークとして、心血をそそいで取りくんだつもりである。
ただ、物理的な問題として、私自身このような膨大な量の録音は長い演奏家活動の過去にも経験がないので、長期間(数年にわたった)の時間差による誤差がどうのような影響があるのかはっきりとわからなかった。もちろんテープは幾返も聞きなおしてみたがわたしの聴覚では差異は感じられなかった。しかし、機械的には誤差は認められた。
このことは、数年にわたったことで、演奏者自身の肉体的変化、気候、気温による変化、湿度による変化、それに録音機器のいちじるしい進歩化などので微妙にことなる物理的条件が生じてしまったようだ。このことに関しては、やむをえないことと思うが、監修者として深くお詫び申し上げる。 (続く)
ー「日本古代歌謡の世界」総論 多忠麿
レコーディグという作業では、意外とこういったことは気にされない。
普通なら、数年前のレコーディングと最近収録したものが混在しても、なんの断りもいれない。なのに、先生はわざわざお詫びの言葉まで丁寧に入れられている。
初めて、御神楽という貴重なジャンルの音楽をCDというメディアで聴く人たちへの、良心的な気配りーー先生のお仕事は、いつも、そんな繊細さに満ちあふれていた。
御神楽は、「一夜」にして繰り広げられる厳かな儀式の音楽と舞だ。
それをCDのなかで「再現」することが先生の夢、だったのだと思う。
録音日に「数年の隔たり」という誤差があってはならない、とお考えだったのだろう。
加えて「東京楽所」のCDなのに、演奏者全員が、宮内庁式部職楽部現役の楽師(笛の芝祐靖先生をのぞいて)。
今思うと、先生は、もう2度と、あの「神々へのご奉仕の場」に、生きて戻れないことを無意識のうちに感じておられたのかもしれない。
このCDのなかに、おそらく「楽家」に生まれた人間としての血が、ぴりぴりと感応する場であったはずの、「宮中御神楽」を「永久に」とどめようとされたのではないか。
実は、ライナーノートには、録音年月日は「1994年 6月25日 6月26日 7月17日 7月25日」となっている。
「数年」ではなく、わずか1ヶ月で終わったかのように見える。
不思議に思われたかたも多いのではないかと思う。
100%確かなことではないが、このCDの前に、同じ日本コロムビアから「大和朝廷の秘歌」という1枚のCDが出ている。
このCDのレコーディングが1992年で、数曲「日本古代歌謡の世界」と重複していて、どうも音源は聴き比べてみるとこのCDから持ってきているようだ。
ここからは推測になるが、おそらく先生ご自身が、「録音年月日」をライナーに記すとしたら、この「1992年」のレコーディング日も入れられただろう。
ただ、先生は、1994年の12月に急逝され、確かその日かその翌日に「古代歌謡の世界」は完成、先生の枕元に届けられたそうだ。
先生ご自身が書かれた文章の校正までは、先生が全て終えられていると思う。
「録音日」など、事務的な事柄の記載・掲載に関しては、先生の目をすり抜けてしまったのではないか。。。
すべてに「完璧」、「最高」を求め続けた先生だったから。
ああ、またそれで思い出してしまった思い出がひとつあるけれど。。。長くなるので、後日。。。