12月19日は、
多忠麿先生のご命日です。
もう16年ほどになりますが、今でもこの時期はしんみりします。
先生が亡くなられたその日、わたしはちょうど雅楽の仲間と、合奏勉強会の発会式を行って、全員で青海波を吹いていました。
盤渉調でした。
先生の「お見送り」になったのでしょうか。
下手な演奏でしたが、先生のお耳に届いていたのでしょうか。
翌日に訃報を受け、思わず、受話器をとり落とし、立ち上がれなくなりました。
数ヶ月前から、なんとなく覚悟はしていたものの、やはり最初は信じられませんでした。
弔問に伺った日の朝は、やけに天気がよかったのを覚えています。
白々と明るい朝、白い花を持って、真っ赤な目をして、先生のご自宅に伺いました。
わたしが伺ったときに、ちょうど鶴岡八幡宮の若い神職さんが弔問にいらしていました。
先生はとても動けるようなお体ではなかったのに、車椅子で、亡くなられる日の2日前、鶴岡の御神楽のために、最後のご指導にいらしていたのだそうです。
その神職さんは、おそらく人長の舞(もっとも責務が重く、先生が一対一でご指導されていた舞)を舞われたかただったのだと思います。
「まさか、、、まさか、こんなことになるなんて」と涙声で、肩を落として奥様とお話されていました。
多家は、代々、御神楽を伝承されてきたお家、です。
笙のお家でもありますが、笙を専任とされるようになったのは、歴史的にはずっとあとのこと、だそうです(ずっとあと、、、と言っても、軽く、数百年の歴史がありますが)。
今にして思えば、最後に製作されたCDも御神楽のCDでしたから、累代の家に生まれた人間としての責務を最後の最後まで、全うしていかれたのだと思います。
華やかで、それこそ火花のような人、でした。
今でも、、、幽霊でもお化けでも、なんでもいいから、もう一度、先生にお会いしたいと、切に思います。。。
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