本地垂迹
春日権現絵巻を見ていると、仏教、特に法相宗や華厳宗のものらしい観念が随所に入り込んでいて、びっくりします。
もともと神道だった国家に仏教を導入する際の苦肉の策のようにも思われている本地垂迹ですが、もっと純粋な動機と、確固たる見識があったのではないでしょうか。。。
インドから起こった「仏教」は日本に入って、オリジナルな宗教「神道」(と、言っていいのかわかりませんが、、、、、神道は教祖さんがいらっしゃらず、教義もありませんから)、と結びついて、日本独自の「ネオ仏教、ネオ神道」になりました。
わたしたちが「古来からのもの」と信じている、今の仏教は、すでに、お釈迦様の教えを守っている人たちからみると「ねじ曲げられている」訳ですが、当時の日本の地には、ふさわしい教えとなって定着しました。
でも、これは「雅楽」というジャンルに起こったことと、そっくりです。
正倉院ができたころには、まだまだ雅楽も純粋な外国の音楽だったと思います。
その後、おそらく古来からあった音楽に篳篥が加わることによって、国風歌舞(くにぶりのうたまい)のようなジャンルもできました。
唐楽、高麗楽も、もちろん日本国内の音楽の影響を受け続けていったのだと思います。
ヨーロッパなどでは外国の文化を吸収するのではなく、「収集」するのが好きです。
極端になってくると「植民地」化ということになります。
ですが、ドビュッシーの頃から、受容して、新たに自分の音楽と混ぜ合わせて「作り直す」ことに関心が向くように変わってきたようです。精神的にも、ヨガや仏教、禅に関心が持たれるようになってきたのも、この頃から萌芽があったように思います。
そして日本人は今、ドビュッシーに多大な影響を受けている人が多いですから。。。
昔、ドビュッシーが影響を受けたアジア的なものに、今、日本人が感化されている。逆輸入ですね。
世の中、ダイナミックに、「流転」しています。。。
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