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2010年11月 2日 (火)

伊藤@明治神宮です。

明治神宮御鎮座90年大祭。
本日は大祭第3日の儀。

今年は春の舞楽も、先日の秋も逃したので、明治神宮は1年ぶり以上。。。

朝の参道を本殿へと急ぐ。。。空気が濃い。。。そして、音。
都心の喧噪が遠くで聴こえるなか、鳥や虫の声、、、
空気の音。。。ああ、空気の音だ、と思う。
染み渡る音は、濃い空気のなかを伝わってやってくる。
倍音をたくさん含む音を聞いているときと、精神が同じ状態になる。

知人にビデオ撮りを頼まれていた。
一応、機材はかついでいったものの、、、

目の前の、厳かな儀式のなかで、とてもビデオカメラを構える気にならない。

さらに、近くに警備の人が立っている。。。。
(でも、かなり以前から頼まれていたのだし、、、彼は10年前には、同じ御鎮座祭で撮影した、と言っていたし、、、)おそるおそる、カメラを出したものの、やはり、すごすごとひっこめた。

これは、撮れない。
撮ってはいけない。止めよう。

撮るのはよくない。
はっきり、そう思った。

祭員さんの数がさすがに多い。
白い祭服の神職さんがずらりと居並ぶ様子はさすがに厳かで、自然に頭を垂れたくなる。

祝詞の声が響き、式は滞りなく進み、倭舞へ。
生まれて初めて拝見する舞に、心がときめいた。

日本の舞のなかでも、この舞がもっとも「そぎ落とされた舞」なのではないか。
簡素を尊ぶ、神道の舞らしい舞。
上臈二名と三、四臈とで袍の色が異なる。上臈は鮮やかな赤、三、四臈は緑(・・・と、言っても実際には濃い紺色)。
カメラを、構えないでよかった、と思う。
カメラを通すと、どうしても自分自身で観る目が甘くなる。

「舞」というよりは「所作」、と伺っていた。
まさにそのような感じ。
すっきりとした動作を数回、繰り返す。
ただ、シンプルであるから(単調、というのとは訳がちがう)、余計に、場がすっきりと清まっていく感じがする。

亀足。

不思議な所作。

これは、心正しくないと、とても舞えない、、、と思う。
正しい、、、と言っても、「正義」というニュアンスとか、道徳的な「正しさ」、ではなく。
心が、よい状態に「調律」されていないと。

今風に言えば「ニュートラル」とか「フラット」とか、そういう感じがする。
自分の内側に、意識が集中していないと、できない。
茶道や弓道などの心得があるかたなら、わかると思う。。。

あっという間に終わってしまった。
舞人が幣殿から消えると、鮮やかな色彩が目の前から消え、再び祭員さんの祭服と烏帽子の白黒の世界に戻る。。。

一瞬の、夢。

きれいだった。

ご祭典は全体で約40分程度だっただろうか。

ふっつりと緊張感が切れる。
これだけ本格的な祭典は、久しぶり。

仏教のいわば、こてこての荘厳とは、ぜんぜん違う。。。
ここまで簡素ななかに、切り詰めた様式を作り出したのは、背景にやはり「自然の摂理」を第一に考えた日本人の感性的な思想があるのだろう。

日本に入ってきた仏教は、西方浄土への「遠さ」の感覚。
神道は、「今、ここ」を極めていく感覚。ただ、神道にも仏教の思想が混じり、仏教には神道の一部がやはり入り込んだようで、調べていくと、双方共に、世界でもまれな、不思議な宗教観を作りだしている。

今日の奏楽は平調。
五常楽や
陪臚、鶏徳など。

心地よい緊張のあと、清まった空気のなか、呼吸が楽になる。

こんな時間を過ごせたことを、また有難く思う。
経験する前と後、では、ぜんぜん感覚が違う。


ただ今、神宮内でコーヒーを飲みながら、これを書いていますが。。。
しばらくの間、外に出たくなくなってしまう(笑)。

神宮内は、日本全国からの御献上品を飾ってあったり(贅沢品ではなく、地域の食べ物などの物産品でにぎわっています)、野菜の巨大な作り物があったり、JAさんが野菜を配っていたり、とにぎやかです。
お近くのかたは、秋の神宮、ぜひ一度、訪れられては、と思います。


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