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2010年11月24日 (水)

CD「日本古代歌謡の世界」 ライナーノートから(1)

総論 多忠麿

音楽の発生の源は、人間の声からであると言われている。
意思を通じ合うために声を作り出し、言語を生み出した人間は、やがてその声により美しさ優しさを知り、旋律という技巧を用いて音楽を生み出したのであろう。

古代日本の人々もまた、声から音楽を作り出していったにちがいないと私は考えている。

生きるということがむずかしかった時代に、古代日本人は現世の幸福と、明日からの希望を声に託して、神々との対話の場で祈りつづけ、となえつづけているうちに、自然と音楽となっていったのかもしれない。

そして幾世紀にもわたる長い試行錯誤の後に、言葉をえらび詩を作り、音の組み合わせを考えて節づけをし、より効果的音を出すために楽器を考案し、これらを組合わせることによって日本人の音楽を作り出したのであろう。

さらに、それらを日本人の美学により様式化し、日本人の心ともいうべき、神楽歌へと発展させていったと考えられる。

短絡的な憶測ではあるが、このようにして産まれたと思われる日本の古代音楽は、六世紀ごろに伝来した仏教における声明の付楽のように、神道には欠かせない祭祀音楽として、その地位を確立してゆく。とくに、神楽歌は長い間、宮中の奥深く秘し隠され、その存在を知る人はごく一部に限られていた。

このことはつい最近まで、千年以上もつづいていた。

*原文は、いわゆる「ベタ打ち」に近く、ほとんど改行はなし。
読みやすくするために、わたし自身の判断で改行をいれ、数回に分けてアップしたいと思います。


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