音霊
最近、ポップス系からクラッシック系のミュージシャンも、普通に「音霊」という言葉を使っていたりして、びっくりします。
コンサートのタイトルに「音霊」という言葉を入れたり、とか。
元は神道の言葉なのでしょうか?
音の霊、「言霊」、言葉の霊。
音にも言葉にも魂、エネルギーがある、ということですね。
わたしのCDの帯にも江原啓之さんご推薦の言葉を頂戴していますが、音霊という言葉が使われています。
梁塵秘抄を読んでいると、まさに音霊、言霊、ということを生々しく感じます。
昔は、テレビもラジオも、もちろんネットもなかったわけですから、「歌」は「ニュース速報」みたいな役割も果たしていたのでしょう。
梁塵秘抄のおもしろさは仏様の功徳を称える歌のよこに、生々しい恋歌が並んでいたりする。歌によっては、かなり具体的な地名や神社の名前があり、(○○の巫女、とか)、多分、「ゴシップ記事」の感覚だったんでしょう。そして、そういう歌ほど、広まるのが早かったのかもしれません(笑)。
そういえば神楽歌のなかにも、そういった歌が入っていますね。
神道は、宗教が陥りやすい、「極端な禁欲」とか「異常な潔癖主義」を回避して、おおらかに人間的な本能を楽しんでいるところがあります。
その神道が、日本に伝来した仏教と結びついて、日本独自の宗教が出来上がっているというか。。。ただ、「なんでもあり」のようなおおらかな思想は、過酷な争いを回避し、全体性を志向していくことで、人に優しいように思います。
人類始まって以来の大矛盾、ですが、「宗教」ほど戦争を引き起こしてきたものはないですから。。。
「ぽわっと」生きている人のほうが、実は人や世界を否定せず、高い境地を生きているような、そんな気がします。
後白河法皇に関する本を読んでいると、大変な芸術的才覚としたたかさと同時に、そんな、境地の高い「ぽわっと」感を感じることがあります。
「梁塵秘抄 後白河法皇」カテゴリの記事
- 優雅さは荒っぽさに駆逐される・・・(2010.05.18)
- 音霊(2010.03.16)
- 幻影?(2010.01.09)
- 静かに音せぬ道場に(2009.08.30)
- 万の仏の願よりも(2009.08.19)