鶴岡八幡宮 御神楽 (1)馬場光子先生講演
鶴岡八幡宮。わたしの雅楽人生のなかで、とても大切に思える神社さんのひとつです。
わたしの笙の恩師、故・多忠麿先生に初めてお目にかかったのも、こちらのお宮の社務所でした。5月5日の舞殿での舞楽のご奉納のあとで、宮田まゆみ先生が引き合わせてくださったのです。
その後、何度となくその舞殿で奏楽、奉舞させていただいく機会もいただき、とてもありがたく感じています。
12月16日は御鎮座祭が行われ、夜には御神楽のご奉納があります。
夜間の御神楽に先立ち、「伝統文化セミナー」というものが行われ、馬場光子先生のご講義がありました(講演タイトルは「神遊びの歌」)。
当日のお話と資料から抜粋します(録音を録ったりはしませんでしたので、記録違いがありましたら、ご容赦ください)。
京都・石清水八幡宮からご祭神を勧請したのが鶴岡八幡宮の始まり。
そして鎌倉幕府開幕の1年前(1191年)、「宮人」の曲を唱えるために、楽人・多好方(おおの・よしかた)を召したのが、鶴岡での御神楽の始まり、だそうです。
1191年の11月21日。
「好方、宮人の曲を唱う。すこぶる神感の瑞相ありと云々・・・」(『吾妻鏡』)。
この好方というかたは、随分と才能のある楽人だったようです。
雅楽の世界では有名な話ですが、2代上の多資忠は、山村政連から神楽の秘曲の請われたものの、それを断り、殺害されてしまいます。
それほど、「伝授」ということは当時の重大事だったわけです。
普通でしたらここで伝承が途切れてしまいますが、幸い、堀河院がこの秘曲「宮人」「弓立」をすでに資忠から伝授されていました。
そして堀河院が多近方(おおの・ちかかた)に(多家に)、再度この秘曲をお戻しになられます。
近方はこのほかにも「採桑老」(舞)を天王寺楽人の秦公貞さんから伝授されたり、大神元政さんから笛の秘曲を伝授されたりしています。
当時、「この人に伝えておけば間違いない」と信頼されていたのでしょう。
そして、その近方の息子の好方が京都から出向し、鶴岡八幡宮にこの秘曲を伝えたのです。
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1191年、まだ幕府もなにもなかった鎌倉の地で、響いた神楽は、どれほどすばらしかったのでしょう。「神感の瑞相あり」。
歴史の開闢にあたっての、荘重で晴れがましい御神楽であったと思います。
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