世界は「情」でできている?
世界は「情報」=informationでできている、というのがここ数年のわたしの認識だったのですが。。。
今朝、ふと、世界は「情」でできているのかもしれないと思いました。「情」は英語にしにくいですね。emotionでもないし、ideaとも違う。。。「感情」との違いは?
「感情」はひとりでも成り立つ世界ですが、「情」は他者あっての世界。
「感情をあらわにする」とは言いますが、「情をあらわにする」とは言いません。
「情(なさけ)をかける」とは言いますが、「感情をかける」とは言わない。。。
情報というのは、客観的世界のように思われますが、むしろ完璧な客観は存在しないと思います。(ちなみにinformationを「情報」という言葉に翻訳した(訳語を作った)のは、森鴎外なのだそうです。「情」に反応(報いる)するから、その時点である事象が「情報」に変化する・・・考えれば考えるほど、「深い」翻訳です)。
数え切れない「情」が響きあって、ホログラムのように世界が構成されている・・・
個々が感じている悩みや喜びや苦しみも、実は共有されている「情」の渦巻きのひとつ、なのかもしれません。。。
人が苦しんでいるときは、自分のどこかも苦しい。
わたしが楽しい、喜んでいるときは、人もどこかの部分で喜んでいる。。。
そう思うと、世の中、奥行きが増します。。。
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