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2009年5月31日 (日)

朝日新聞千葉県版

5月31日(日)朝日新聞千葉県版

「笙の祈り『きぼう』に届け」

という素敵なタイトルでCD「祈りの海へ・・・」が紹介されました!

「きぼうのいえ」の山本さんのコメントも載せられています。

・・・詳細は、なるべく早くアップします・・・(汗)・・・明日の更衣、暗譜してない・・・×××


2009年5月29日 (金)

サンプラー遊び

都内スタジオで笛の太田君にサンプラーの使い方を教えていただきました。

おもしろい・・・これはおもしろいです!
ただ、使い慣れるのには、「ひとつの楽器を弾きこなす」のと同じぐらい、馴染まないと使えないかな、というのが感想です。といいますかシンセ系の楽器にまだ慣れていないので。

遊んでいて1,2年後には使えるかな。。。。

続きを読む "サンプラー遊び"


2009年5月27日 (水)

そろそろ1ヶ月

ブログを開設して1ヶ月になります。

大体の要領がわかってきました☆

試行期間が終わり、

ブログではできることできないこと、なんとなくつかめてきました。

画面上でどのように構成できるのかもわかってきました。

「カテゴリー」などを再度まとめて、もう少し分かりやすいようにリニューアルしたいと思います

今後もよろしくお願いいたします


2009年5月24日 (日)

音楽は・・・

人のこころの傷のなかに、

そっと卵を生みつける。

やがて卵がかえって、幼虫となって、しずかに白い糸をはく

何を目指しているのかもわからないまま

虚空に白い糸が煙のようにはきだされて形になる

そして繭ができてなかから何万という

あざやかな蝶が飛び立つとき

あなたの心の傷は 宇宙のなかに溶けていく


そして笙(4)

台湾のミンイーは、日本で「舞踏」を学んだり、彼女の所属している南管の団体と能(Noh theater.と言っていました)を組み合わせて、新作の女優として参加したり、と、とてもおもしろい活動をしている人でした。

歌も楽器もとても素朴で上手。いわゆる西洋の楽譜はまったく読めないので、すべてからだで覚えてしまう、と言っていました。

...because your sound made me dance...made me move.

と彼女は言ってくれましたが、、、

この楽器はもう何十年も吹いてきたけれども、改めて、何か特殊な秘められたパワーがある、と感じました。倍音がたくさん出る、とか、ピュタゴラス音律で調律されている、とか、そういったこともあるのかもしれませんが・・・奈良時代には食器や仏具に使われていた砂張という金属のリードを使い、青い孔雀石の粉を塗布した楽器。あまり「神秘化」して考えるのもどうかと思いますが、そういった素材を使うことで、予期せぬパワーが生まれているのかもしれません。

ところがこれが、普通の雅楽合奏となると、もう笙の印象は、まったく変わってしまうんですね。きらびやかな音でありながら、すっと後ろに引いて、全体を包み込む役割をします。篳篥と笛が「喧嘩」しないように。

鳴っているのに、聴こえているのに、意識のなかでは聴こえない、不思議な楽器。つつましやかな役割。そして、出るべきとこはすーっと出てくる。

単独で演奏したときに人が感じてくれるパワー。

わたしが初めてソロで笙の音を聴いたのはTVで、宮田まゆみ先生のソロで、でしたが、やはりこのときの鮮烈な印象ははっきりと覚えています。

そして、海外だけでなく、日本でさえも、この楽器のことを知る人は、いないのです。。。中国のshengや韓国のセンファのほうが、まだ海外では知られていました。。。

とても残念に思えました。


2009年5月22日 (金)

梁塵秘抄 遊びをせんとや

遊びをせんとや生まれけむ、

戯れせんとや生まれけん、

遊ぶ子供の声きけば、

我が身さえこそ動がるれ。(359)

梁塵秘抄のなかで一番有名な歌ですね。
当時、どんなに闊達な節回しで歌われていたのでしょう。


梁塵秘抄口伝集貫三十

ひとよりかつべき、かつべき、かつべきとおもいて、吹・唱は愚人の心入りなり。

人を立て、われも立て、仁義禮智信の心、文学の道のごとし。

琴びわにても皆同じ、調子は心息にそくするゆえ、ただちにあらわれぬるぞ、心得べき大極意なり。

***********

後白河法皇は、12世紀の時の最高権力者。
ところが大の今様(当時の民間での流行歌)狂い。
当時最高の歌い手だった、乙前という河原で生活する貧しいおばあちゃんを宮廷に召し寄せ、なんと弟子入りまでしてしまう。

今の世で例えれば、王族に生まれたにも関わらず、クラシック音楽などには関心がなく、ロックやポップスに明け暮れ、日々エレキギターやドラムに没頭する王子さま、といったところだろうか。

とは言っても雅楽に関しても短いながらに言及があり、しかも内容は深い。
「ミュージシャン」でなければ書けない内容だと思う。楽器にも精通していたらしい。

最高権力者とはいえ、いつ政治が転覆して、自分だけでなく、愛する家族や親友、側近が皆殺しになってもおかしくない世のこと。
そんななかで尋常ではない今様熱は、酔狂を超えて、神がかったものさえ感じられる。

のらりくらりと現実逃避のために音楽に没頭しているのではない。音のなかに神を見、聴き、全霊を捧げて生きてこられた、すごい人だ。

さらに、「音の前には人は平等」というようなこともさらりと言ってのける。
かっこよすぎるのであるが、笑えるようなエピソードも残されていて、人間らしさも感じさせる。

複雑で魅力的、カリスマ的な人だったようだ。
のらりくらりとしているようで、実は奇怪な政治力があったようで、源頼朝も手が出せなかった。

梁塵秘抄口伝集を読んでいると、「生粋のミュージシャン魂」を持った後白河法皇の、熱い想いが歴史を超えて伝わってくる。

900年の時差などなんのその♪ 

後白河法皇の想いは、まるでついこの間まで世にいらした人の想いのように熱く伝わり、その言動には、動かされる。


2009年5月19日 (火)

そして笙(3)

さらに、2年ほど前に行った「韓国国立国楽院」の外国人の音楽学研究者を対象としたワークショップで、非常におもしろい経験をしました。

対象は「研究職」にある人だったのですが、わたしは雅楽の奏者、ということで参加させていただけたようです。雅楽では「高麗楽」というジャンルがあり、韓国もまた日本の雅楽の「ふるさと」です。

アジア圏、ヨーロッパ圏、アメリカ、カナダ、と参加者は多彩な顔ぶれ、さらに実際には研究者に限られず、作曲家、演奏者、劇団所属者など、ユニークな人たちの集まりとなりました。

そのなかに台湾からの、「南管」と呼ばれるジャンル(南管「opera」と説明していました)の劇団に所属している女性がいました。ミンイー(明儀)という名前の、すっきり、すらりとした女性。彼女は2週間のワークショップ期間中のルームメイトでもありました。人見知りのわたしが2週間、苦労なく過ごせたのは彼女の明るくて純朴な人柄のおかげ、でもありました。

ミンイーだけでなく、何人かの参加者は、わたしが四六時中抱えている楽器が不思議で不思議でならなかったようで、あるとき「吹いてみて?音が聴いてみたい」と頼まれたのです。

滞在先のホテルのベランダで、それでは、ちょっとだけ、ちょっとだけね・・・と、まずコンロを取り出したところ、一同びっくり!!!「ええっ?何をするの?」(笑)。

仕組みやら孔雀石の話をしたら、「・・・そんなに細かいことをするの?」と驚愕の様子。普段はもう慣れているので、それほど気にしない作業ですが、確かに楽器のケアとはいえ、あまりにも繊細で細やかな作業です。

途中、通りかかったホテルの人に、ご注意を受けてしまいました。「すっかり怪しい人だよね、、、」とは日本からの参加者で、某大学の助教授のご発言。そう、コンセントが見当たらず、廊下にしゃがみこんで、変圧器と電気コンロの上で竹のあやしい楽器を回していたら、それは・・・

そして、演奏を始めたところ・・・ミンイーが突然、はじかれたように立ち上がると、即興でダンスを始めたのです。


そして笙(2)

笙の音は、めずらしいというだけでなく、その多様な倍音から、身体的な作用が大きいのかもしれません。

笙をソロで吹いたら、そばで聞いていた人が泣き出してしまった・・・ということはよく起こります。わたしだけでなく、似たような体験をした話を、同業者から聞きます。

「光が降る」ように聴こえるとはよく言われるのですが、どうしてそう感じるのか、わたしもまだよくわかりません。
おもしろいのは、演奏している側としては「光が降る」というより「光が昇っていく」ように思えることです。

昨年、「グループケアホーム」での演奏のご依頼を受けました。
叔母がお世話になっていることもあり、またいろいろとご縁もあって、引き受けさせていただきました。

とても感じのよい暖かなリビングのような場で、古典曲を中心に、のんびり、お話をしながら演奏させていただきました。

ところがノンストップで1時間半、演奏とお話を続けていると、その最後の頃に、認知症が進んでわたしのことを見てもまったくわからなかった叔母が、突然お話を始めたのです。

「あら、どうしたのかしら・・・」いつも付き添ってくださっているかたも、びっくりされていました。
何をしゃべっているのかわからないのですが、何か感心したようにつぶやいているのです。

こちらのほうが涙ぐんでしまいました。


そして笙(1)

笙は不思議な楽器です。

日本に三味線などよりも遥か昔からあるというのに、三味線ほどにも知られていません。

今日も「笙という楽器を演奏しています」とお話をしたところ、若い女性から目を丸くして、「それ・・・縦笛ですか?」と(笑)。

そして、説明のしようがなくなってしまうんですね。
世界中のどこにも、似た楽器がない。もちろんラオスのケーンとかありますが、知らない人には余計にわからなくなります。

「パイプオルガンにも似た音で・・・」というと、さらに混乱を招きます(笑)。この「祈りの海へ・・・」をお聴きいただければ、少しは納得いただけると思います。うちの母はいまだにtrack 3 「ユニコーン」の音はパイプオルガンだと信じております(笑)(あれは竽と笙の多重録音)。


高橋全さんのピアノ

今回の、この奇跡的な出会いが重なったCDができるきっかけは、どこにあったのだろう?と考えています。

なかでも2年前の夏の、高橋さんとの出会いは、本当に大きかったです。

とてもショックを受けました。
最初、スタジオでお会いしたときから、きれいな音色できれいな和音を使う人、と思いました。

数日後、朝崎郁恵さんという島唄の名手のかたとのコラボレーションのCDを購入して、聴いてみました。

わずか数秒間で、涙が止まらなくなりました。

これは、なんだろう・・・
その直後、わたしは手術を受けたのですが、
病院のベッドの上で、くりかえしくりかえし、そのCDを聴き続け、回復を待ちました。

そして退院後、世界が変わり始めました。

何か笙で、ピアノに音を合わせてみたい。
自分からそう思ったのは生まれて初めてのことでした。
古典の和音以外の音を、自分で吹いてみたのは。

世界の色が、空気がどんどん変わりはじめました。

わたしは、ずっと・・・時間の止まった世界にいました。
ある一点、ある一時期から音楽から逃げてしまい、ずっと逃げたままでした。何十年も。

回線が切れたような状態でした。


なのに、音楽が戻ってきてくれたのです。

わたしは逃げて逃げて、人生から音を失いかけていたのに、感覚がもう一度、変わり始めたのです。

信じられない思いでした。

子供の頃のことをたくさん、思い出しました。
音に対する接し方が変わりました。体中で反応していくようになり、どこかでセーブしていた垣根がなくなったようでした。

聴覚がはっきり変わり、視覚も行動もまったく変わってきました。

感情の起伏が激しくなりました。
感情を表すのがとても苦手だったのですが。
妙に、おしゃべりになりました。

どうしちゃったんだろう、一体、わたしは、どうしちゃったんだろう?

わたしはずっと呆けたままだったのに・・・急にこれまでとは違ったことばかりをやり始め、止まらなくなりました。控えめに、エネルギーを使いつつ生きていたのが、突然、貪欲になりはじめました(笑)。

手術の成果もあったのでしょうが、疲れやすかった体が、疲れなくなり、無理もきくようになりました。重たいパソコンや何管もの笙を抱えては、広いスペースを借りて、録音をためし、音色や響き具合を試しました。

音楽をもう一度、信頼し、ゆだねてみることにした途端に、世界が、微笑んでくれたのです。

すべては高橋さんのピアノから、でした。


江原啓之さんの朗読

今日も何通か、知人からCDのご感想をいただきましたが、連鎖反応的に「涙腺がゆるみました」というお言葉をいただいています。

とても、ありがたいです。
でも、このCDを聴いた人たちのなかでは、おそらくわたしが一番、泣いているようにも思います(笑)。

出来たー!といっては泣き、失敗した・・・、といっては泣き・・・

なかでも泣けたのは、江原さんの朗読です。
サウンドのチェックや朗読の文章をジャケット内の文章と照らし合わせてチェックしているときに、どっと涙があふれてきました。。。

もう何度も聴いていたのに。改めて文章の内容をかみしめながら、一緒に朗読しているときのことでした。

ヘッドフォンをしながら、チェックをしていました。普段の、スピーカーを通すとあまり聴こえない江原さんの息遣いが聴こえてきました。

深く感動的に読み上げる直前の息遣い(ブレス)はとても深く、

やさしく静かに語りかける部分の前はやさしくやわらかいブレス。

人の呼吸の音って、こんなにも切ないんだろうか。
静かな安らぎが、広まっていきます。

そんなことを考えているうちに、「息している」=今「生きてる」という実感が急にこみ上げてきて、やがて涙となって、あふれてきました。

ブレスも音楽にしてしまったような、江原さんの不思議な声の魅力のとりこになりました。

ブレスの深さやバリエーションが、言葉の力を強めていきます・・・深い祈りの想い、そしてパワー。

歌やテレビでの江原さんの顔や声とはまた違った魅力を感じました。真摯で優雅さも感じさせる落ち着いた声。

気がついたらもう、涙ぼろぼろで、しばらく外出できませんでした(笑)。

「祈り」・・・のパワーを改めて感じました。

礼拝堂で読みあげているような雰囲気をだしたいと思い、スタジオでなく、府中のホールで録音させていただきました。

やや聞き取りづらいと思われるトラックもあるかもしれませんが、どうか広い場所で、朗々と読み上げてくださっている江原さんのお姿を想像しながら、お聴きください・・・


2009年5月17日 (日)

仁和楽

別説あり。

おそらく仁和楽も、昔は相当長かったのだろう。それを楽しむゆとりもおおらかさもあったということか。

単調で、平舞らしい、簡素な舞。でもまったく自然でのびのびとした舞。
形式が形式のなかで、生き生きとしている。
単調さのなかに、安らかさやおっとりした良さが感じられてくる。

・・・日本人って、今、どうしてこうもこせこせしてしまったんだろう???


行ってきました。加藤さんの個展。

CD「祈りの海へ・・・」ジャケット内のイラストを描いてくださった加藤龍勇さんの個展。

http://galeriemalle.jp/

恵比寿駅からそれほど遠くない、細い路地にある画廊。
銀座や神田、神保町あたりの画廊とは、またひと味違った、不思議な空間でした。

入り口付近は緑が茂っていて、なんだか避暑地に来たような気分です
時間を経て黒い落ち着いた味わいのウッドデッキ。

本当に、ここ恵比寿?
空気が、違うなあ・・・

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2009年5月14日 (木)

春の鶯・・・

壱越調、入破。

少し、旋律が歌いやすい部分で、勢いをつける癖がついたみたいだ。
要注意。

演奏の「ノリ」や「勢い」を極端に抑制する古典。今は、勢いを勘違いして「上手な笙」と思う人も増えてきている。
「抑制のなかから美が生まれる」というようなことを確か、野口晴哉さんも書いておられた。

解放と制御。

コントロールとリリース。

入破は於世吹の悦楽。
お姫様がにっこりとほほえんでいるかのよう。


こちらで演奏してます

わたしのCDのジャケットの中で使用させていただいている、イラストレーターの加藤龍勇さんの個展が開催されています。

恵比寿にあるGalerie Malleでの個展

http://galeriemalle.jp/

優しくモダンなセンスの加藤さんの絵は、何かストーリーを感じさせるものがあり、惹かれます

今回はまたかわいいですよー。「聞き上手な動物貸します」

ときどき出没しては、会場内で笙を吹かせていただく予定です。

お互い、時間など決めていませんが、運のいいかたは会場でお会いしましょう!

また、会場内ではCD「祈りの海へ・・・」の販売もしています。
お手にとってご覧ください。


2009年5月13日 (水)

仁和楽

意調子。当曲。
左巻指正面向から加。

襲装束の右肩脱ぎだが、蛮絵装束を用いることも。

わたしが一番最初に習った舞だった。
そのときは襲だった。

今年は、蛮絵が着られる。


2009年5月11日 (月)

日々是好日♪

終わりました!

5日間の江原啓之さんスピリチュアル講座!
さすがに5日間はしんどいですね。
しかも、最終日2日間はそれぞれ2回講演。

Img_2005 

それに比べて江原啓之さん、パワフルです!1500人のお客様を相手に、2時間、ノンストップで講義をされ続けました。

こちらは休憩をたっぷりとりつつの販売だけでもへとへと・・・

でもしんどいとはいいつつも、毎日お祭りのようで楽しかったです

そして最終日の、最後の講座の終盤で、江原啓之さんがCDを会場に流してくださいました!
「アッシジの聖フランチェスコ平和への祈りの言葉」と「マザーテレサの言葉」です。

いろいろな想いが胸のなかをよぎり、感激で思わず涙が止まらなくなりました・・・

江原啓之さまとそのスタッフの皆様、サンライズプロモーションの皆様、販売をお手伝いくださった皆様、看板を作って届けてくださったり、何度も様子を確認しにご来場くださった本法寺さま、CDをご購入くださった皆様、早速CDのご感想をお伝えくださった皆様、いつも応援してくださっている皆様、本当にありがとうございました。

早速、収益金のなかからチャリティーの分を「きぼうのいえ」さんにお届けに伺いたいと思います。

そして高橋全さま・・・5日間、本当にお疲れさまでした ありがとうございました!

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2009年5月 9日 (土)

江原啓之さんスピリチュアル講座☆

なかなか記事の更新ができませんが・・・

連日、江原啓之さん「スピリチュアル講座」の会場(東京国際フォーラム)で、CDの販売に追われています。

ありがたいです・・・「きぼうのいえ」へのチャリティーCD、ということで、たくさんのかたがたがご購入くださっています。ご協力に感謝いたします。

なんだかかんだでハプニングと爆笑と感謝と感激の日々です

ピアニスト・レコーディングエンジニアの高橋全さん、そして伊藤も会場でぼーっと、、、 いえいえ、張り切ってCDを販売しています。

なにしろふたりとも慣れない「売り子」業、粗相の連続です・・・
てきぱきとした対応ができず、誠に申し訳ありません。

販売中は小銭が少なくなりがちです。800円をお持ちのかたはなるべく小銭でお願いします・・・

でも、ご購入くださった皆様、本当にどうもありがとうございました☆☆☆☆☆皆様のご厚意は、確かに「きぼうのいえ」にお届けいたします。

そして、当CDにボランティアとして朗読でご参加くださっている江原啓之さま、そして支えるスタッフの皆さま、このような場を与えてくださいまして、本当にありがとうございます!  

残すところあと1日ですが、よろしくお願いいたします

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2009年5月 7日 (木)

曲目紹介 1曲目 For solo voice

ピアノと笙の多重録音による曲。
CDのトップに持ってくる曲が、なかなか決まりませんでした。

「府中の森芸術劇場」での本番の録音日以外に、ほんの10数分、試し録り出来る機会を高橋さんが作ってくださいました。
わたしが笙を吹いているあいだ、高橋さんがピアノでなんとなく音をつけてくださった、1分程度の曲(・・・曲ともいえない、「雰囲気」のような音楽)があり、それを再現しようとしたのですが録音日当日、何度やってもうまくいきませんでした。

音楽って、生き物で、そして「生もの」です。

あの雰囲気は、あのとき1回限りで終わっていたのです。単純な音構成だったのに、録音を繰り返すほど、再現したいと思えば思うほど、音は逃げていきました。

ただ、似たような曲にしたくで、高橋さんには「ペダル、ばりばりに聴かせて」「あまりはっきりした形にはしないで、笙とピアノが掛け合いになるような感じ」ということでお願いしました。

春の雪解け水がきらきらと流れていくような、あるいは、日向の水のなかに足をつけて、のんびりしているような、優しい小さな曲ができあがりました。

カルラホールでの録音。

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2009年5月 4日 (月)

写真アップロードの練習中

ここ1年は...

鳥(迦陵頻)になったり・・・ちなみに、左舞ですね、汗、さらに童舞です、大汗)。

Photo_5 

(photo by 聡明堂、於・小日向本法寺)

迦陵頻は仏教における空想上の聖獣です。CDのジャケット関連の撮影のワンショット。通常、舞人が笙や竽を持つことはありませんが、古い仏教画のなかでは、楽器を持った迦陵頻が描かれています(写真では舞に使う銅拍子を持っています)。あくまでイメージ、ということで、今回のCDのジャケットのような写真を撮影していただきました。

ねずみになったり(林歌、鶴岡八幡宮菖蒲祭りにて、photo by Isamu Ito)

55_3

Photo_2 龍になったり(落蹲)。
二人で舞うときは納曾利、ひとりの時は落蹲と呼ばれる舞です。

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笙の不思議(2)-松脂と蜜蝋

笙のリードは、竹がささっているお椀の形のような「匏(ほう)」「頭(かしら)」と呼ばれる部分の先端に止められています。

簡単に言うと竹を縦に切ったような部分(根継ぎといいます)に、リードが乗っているだけなのです。

もちろん、そのままでは落ちてしまうので、4すみを接着するのですが、その際に使うのが松脂と蜜蝋を何十時間も煮詰めたもの。笙の調律のときにはリードをすべてはずします。ですから完全な「接着剤」ではいけないんですね。

根継ぎの部分は漆がけや金蒔絵がまいてあったりるすので、ある程度柔らかくないと、リードをはずすときに傷つけてしまいます。また、柔らかすぎると、笙を暖めるときに溶けて、リードが安定しなくなります。

リードをしっかりと止める役割を果たしているので、音色にも影響します(特に、厚手のリードの場合)。

松脂+蜜蝋で、わたしたちは「みつろう」と呼んでいますね。昔は夏用の蜜蝋、冬用の蜜蝋、と硬さを変えて使用したそうです。

音色へのこだわりは、今以上だったのでしょう。

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笙の不思議(1)-孔雀石 その2

さて、孔雀石(マラカイト)を金属のリード片に塗る理由は前に書きましたが、笙の音のなかに石の粉がすれる音が入っている・・・と書いたら、(うそーっ)と思う人も多いでしょう。

これは、演奏者のなかにも気がついている人は少ないでしょうし、調律をされているかたがたでもあまりご存じないことだと思います。

洗い替え(青石=孔雀石の粉の塗り替え作業)をして、数十日経つと、石の粉の色が変わってきます。金属(砂張、という金属)とおそらく微妙な酸化反応など起こして、粉が定着してくるのでしょう。そしてそのころ、微細ながら「音色」も変わるんです。

これ、本当に、気がついている人は少ないです。このころようやく青石は安定します。

怠惰ですみません、少しずつ、青石やらリードの写真をとって、アップしていきますね。

お楽しみに☆

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2009年5月 2日 (土)

古典から新しい響きへ (2)

笙は、雅楽合奏のなかでは、比較的伴奏に近い役割をします。
つまり目立ちすぎてはいけないのです。

落ち着いた、まとまりのある音色が好まれます。

ですがいろいろと試しているうちに、洋楽器と一緒に鳴らした場合、圧倒的に弱いことがわかってきました。

雅楽器専門店、武蔵野楽器さんの楽器をいくつか購入して使っているうちに、(この素材とこのリードを組み合わせたらおもしろいのでは?)と思い至りました。特に、ピアノの音とあわせてみたい・・・洋楽ピッチで、何度かリードに手を入れていただきましたが、高音が特にきれいに響きます。

今回のピアノ曲とのコラボレーションでは、すべてこの楽器を使っています。比較的くっきりとした、明るい音色です。

最近は黒檀でできた笙、というものもありますが、それに近い音なのではないか、と思っています。

当たり前かもしれませんが、古典用の笙で曲を考えているときと、この楽器で曲を考えているときとは、まったく別のイメージの曲調が浮かんできます。

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2009年5月 1日 (金)

声も気あり。

声も気あり。器にて五声皆腹内の五臓よりいづる、人としてそのうることは人生なり。

梁塵秘抄口伝集


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