これは、いつかまとめて書きたいと思っているのですが。。。
なぜ、山谷のホスピスとのご縁ができたのだろう、とわたしも最初は首をかしげていました。
実は高校生の頃、高橋悠治さんに傾倒していた時期がありました(今でも大好きですよ、もちろん!)。
悠治さんがちょうど、政治的な活動を中心に音楽をとらえていた頃で、悠治さんの「思想」に共鳴していました。
そして音大に進学するか、それとも貧しい人たちのために役立つようなことができないか、真剣に悩んでしまったのです。
悠治さん主催の「水牛楽団」のワークショップにも参加し、四谷にあった「イメージフォーラム」という場で「民衆という言葉について、どう思いますか」なんていう悠治さんの問いかけについて、みんなで真剣に討論したりしていましたね(笑)。
子供の頃から、戦争や飢餓はなぜ起こるのか。。。そういったことに心を痛めていましたから、
成田闘争の問題、原発の問題。韓国の政治の問題、ボーランドの連帯の話。熱心に勉強しては悠治さんのお話に耳を傾けました。
世界的な天才ピアニストが、ピアノを捨てて、アパートに住み、貧しい人や権利を奪われた人たちのために行動を起こしている・・・
何か、「突きつけられている」ような気がしました。「行動せねば」と。
その頃、山谷地区のことも知ったのだと思います。
当時はまだ、「原子力発電」なんて言葉、誰もしりませんでした。。。
その頃から活発に原発がなぜあるのか、また、その危険性を「水牛通信」でとりあげておられたので、やはり先鋭的な活動の場だったと思います。
今の坂本龍一さんのご活動などにもつながっていると思います。
ただ、自分に関して、ですが、今、思うと、なんというか、青臭い、お恥ずかしい限りです。
高校生では、どうにもできない問題ばかりでした。
問題ばかりを抱えて、余計に苦しくなる日々が続きました。無力感と、焦燥感・・・
でも竹の楽器で全員でセッションしたりして、楽しい時間もありました。
その後、わたしはそういった活動からどんどん離れていくのですが、、、自分の、問題に立ち返らねば、と。
悠治さんご自身もそうでしたし。。。
このあたりのことは、うまくかけません。水牛楽団そのものが、大きな節目を迎えていました。
「きぼうのいえ」さんで、施餓鬼会での奏楽をつとめさせていただいたとき、(あ、これはわたしの人生の宿題だ・・・あのとき、やり残していた宿題が、今、こなせる時期に来たんだ)と、思いました。
「音楽と社会」というのは、わたしの人生のテーマのひとつだったのかもしれません。うーん、言葉は硬いですが、「人と、つながれる音楽のありかた」、もっとひらったくいうと「本当に、人によろこんでもらえる音楽のこと」でしょうか。
雅楽の楽器・笙で、このような形(チャリティーCD)で社会貢献できるのは、本当に、わたしの人生のひとつの結実だったと思います。
まだまだ、いろいろ考えているのですけれどね・・・ふっふっふ