« 口伝集第十一  | トップページ | 正倉院の御物 »

2009年7月 7日 (火)

letter to ...

某さん宛てのある日のメール。

**************

××様、

「雅楽は音楽じゃない」、なんて言ってしまうと語弊があるかもしれませんので、補足です。。。

今、一般にわたしたちが「音楽」と思っているものの幅があまりにも狭すぎるように思うのです。

リズムがはっきりしていて、メロディーと和声がないと、「音楽じゃない」ような。

わたしは生まれて初めて雅楽を中学校の音楽の時間に聴いたとき、、、
「爆笑」しました。(どうしよう?!これ、何?音楽なの?)

とらえどころのない音の霞。旋律はあるようなないような。
リズムは、まったくわからない、、、得体が知れないリズム楽器のようなものが「とことこ」と鳴っていて、ときおり、「どん!」と大きな音がする(これは、鞨鼓と太鼓の音、でした)。
授業中なので、笑いをこらえるのに、死にそうになっていました(笑)。

当時はショパンやバッハやモーツァルトやウェーベルンとか武満徹とか、そういうものがわたしにとっては「音楽」だったので、まさに、雅楽は「異元」、「別の世界の音」だったのです。

でも雅楽の音の世界を身につけて、あらためてここ数年、また洋楽も聴き始めて、ドビュッシーや現代音楽の譜面を見ていると、(雅楽的な呼吸や、フレージングを求めて、このような複雑な指示をだしているのでは?)と思うようになりました。

別に作曲家が「雅楽」そのものを聴いたり、意図した訳では、当然、ないのでしょうが、「メトロノーム」のように正確なテンポや「小節線」の呪縛から逃れようとしているような。
規則的ではない気ままなフレージングやブレス、休符。ただ、その気ままさ、アバウトさを出すのに、えらく大変な記譜をしなければいけないという。。。

とある神社さんに伝承されあている音楽の採譜のお仕事をしていたことがあるのですが、そういったときに「本当に、正確に、」譜面を作ろうとすると、それこそオリヴィエ・メシアンの譜面のような譜になってしまうと思うのです。

そして正確に書けば書くほど、現実に演奏した人、歌った人の意図からははずれていくような音の羅列になっていってしまう。。。これはジレンマ、でした。

でも、やっていること自体はばかみたいに簡単な音、だったりする訳です。

あ、でもだから何なのかと言いますと、
音楽って、音って、もっと広い捉え方があってもいいなあ、、、と思っているのです。

「雅楽が音楽ではない」、のではなくて、「音楽」という意識の枠がもっともっとこれからは、広くなるのでは、、、と思います。

でも、メトロノーム的でビートもはっきりとあって、メロディーラインや和声がとってもきれいな音楽も、もちろん大好きです。。。
どちらかに、優劣をつけている訳ではありません。。。

まして、いきなりリズムも和声もない曖昧模糊とした音楽を作っても、とっても難解な雰囲気になりますので(笑)。

少しずつ、そういった雰囲気ものを丁寧に、感覚に従って作っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

伊藤えり拝

******

今世紀は「歌の復権」の世紀になるのでは、と思います。生の、声の歌、という意味だけではなく、楽器の演奏でも、歌うことが、重視されると思います。

ポール・モチアンが来日したときに、聴きに行く機会がありましたが、(ドラムなのに・・・歌っている!!!)と感動しました。

雅楽もすべては歌が基本です。ピアノでもなんでも、歌っているかどうか、はとっても大きいです。


« 口伝集第十一  | トップページ | 正倉院の御物 »

備忘録」カテゴリの記事

essay」カテゴリの記事